泣きっ面にスポーツカー パート2
公開 2023/08/12 12:32
最終更新
2023/10/24 19:26
💎商3部時空 エトラ左右なし
※3部未読の方はネタバレ注意
3部本編に、こんなワンシーンがあればいいなと思う願望です。
ふわん、ふわん、とサイレンのような音が聞こえて顔を上げた。
いつかも聞いた音だ。こんな風に。後ろから。
音の出所に向けて顔を巡らせると、案の定。
街灯の頼りない光の下でももう細部まで思い描くことができる、馴染んだ緑のジャガーがすっと横に止まった。
——リチャード。
今、世界で一番会いたくて——誰よりも一番会いたくない相手が、運転席の窓から顔を出す。
「この後、お暇ですか」
「——…………っ」
何を言ってるんだ、と。
暇なわけがないじゃないか、と。
かっと頭に上った言葉は、けれど口に出るより先に勝手に動いた身体が乗り込んでしまった助手席のドアの閉まる音に吹き飛んでしまった。自分でもわけがわからない。歯を食いしばると、口の中で血の味がする。
それでも身体はいつもの流れをなぞろうとして、運転席に座った時の癖でシートベルトに伸ばした手が、空を切る前に何かに捕まった。
白い手。
ちょっとびっくりするくらい、温度の高い手。
違う、自分の手が冷たいのか。
先ほどから、まったく自分の言うことを聞かない身体は、のろのろと顔を上げてその手の先を目で追った。
——ああ。
少し離れた位置にあるらしい外灯の微かな明かりで、薄暗い車内がほんのりと照らされている。
浮かび上がるような白と、金。
だめだ、と。戦慄く唇を無意識に噛むと、こちらの手を捕まえていた手がゆっくり放されて、温度の高い両手がそっと頬に触れる。
逆光になって、リチャードがどんな顔をしているのか、こちらからは分からない。
逆に、リチャードにこちらの顔なんて丸わかりだろう。
きっと、史上最高に情けない顔をしているのだろう、この顔なんて。
「……今日は、かけないのか?」
「何をです」
「メタルとか。ロックとかさ」
「お聞きになりたいならかけて差し上げたいところですが、あいにく近所迷惑になるかと」
「あー、そうだよな」
なんとか笑おうとして、熱を持っている方の顔の半分が引き攣れた。
いてて、とわざとらしく言おうとした顔の横を、やさしい白が滑っていく。
引き寄せられたのだと気付いたころには、頭は完全にホールドされてしまっていた。
とくとく とくとく
ハザードがカチカチと立てる音と混ざって、静かに皮膚の向こう側から音が聞こえる。
自分の音とは違う、少しだけ速度の違う音。
何かを言おう、と。何かを言わないと、と口を開いては閉じ、開いては閉じ。
そうしているうちに、服も皮膚も全て取り払われて、身体の真ん中でむき出しになった魂みたいなものが包み込まれて、この温度に混ざってしまうような気になって。
「みのるくんを、泣かせちゃったんだ」
ぽろり、と言葉が零れていた。
「自分のお母さんの、あんなところを見せたくなかったのに」
「あんな顔で泣かせるつもりなんてなかったんだ」
一度零れてしまえば、穴が開いた堰を塞ぐのは一苦労で。情けない心情が流れ出て行ってしまうのを、リチャードはただ優しい相槌と柔らかく撫でる手のぬくもりで受け止めてくれた。
「みのるくんを、探さないと」
あんな風に泣いていたのに。今頃どこでどうしているんだろう。
時刻はすっかり夜だった。彼を早く見つけてあげなくては、と気持ちばかりが急いて、こんなところでへたり込んでいる場合ではないのにと自分を叱咤しようとした耳の近くで、「大丈夫です」と存外しっかりとした声が聞こえた。
「そちらに関してはご心配なく。みのるさまは駅前の量販店ですよ」
「え……」
「きちんと見ております。安心なさい」
「……そう、か……」
それもそうか。こんなところに自分を迎えにきたリチャードが、状況を知らないわけがない。そして、知っているのなら、きっと飛び出していった子どものことだって気にかけていないわけがないのだ。
もう一度そうか、と呟いたら何だか力が抜けてしまった。
「それに、あなたはまず病院です」
「え、でも、みのるくんを迎えに」
「そんな顔で行ってごらんなさい。みのるさまが怖がるのでは」
「でも」
「時間外診療の病院には連絡してあります。ここからすぐ近くです」
「リチャード」
多少身体を捻るような形だったにしても、ぴったりと重なるようだったハグが解かれて、二つ聞こえていたはずの音が離れていく。
そのことにどうしようもない寂しさを覚える自分に、自分で驚いた。
そのまま完全に離れてしまうと思われたリチャードの体温は、けれどまだ近くに留まったまま。
自分ではどうなっているのか見えない熱を持った頬の方を白い指が撫でて、走った痛みに反射でびくりと顔が動く。
「この腫れが引くまで、あなたはお客さまの前に顔を出すのは禁止です」
「ええ!?」
「当然でしょう。……ですから、早く治しなさい」
「……はい」
「痕など残したら許しませんよ」
「……っふ、ははっ、何だよそれ」
「そのままです」
シートベルトをしろと示されるのに大人しく今度は助手席のベルトを探る。
ゆっくり動き出した車の中。
ようやく深く呼吸をすることができた気がした。
ありがとうも、ごめんも、違う気がする。
それなら、これは一体何だろう。
「なあ、リチャード」
「はい」
「俺、本っっっっっっっっっっっっ」
「…………」
「っっ当に、お前に会えてよかったよ」
「左様ですか」
「左様です」
「ティッシュはダッシュボードの中です」
「知ってるよ」
思い切りよくティッシュに鼻を突っ込む間に、何かまだこちらの知らない言語が耳元をするりと掠めていった気がするけれど、聞き返してもきっと答えてもらえないんだろうなと思った。
多分、きっと、今はまだ。
『泣きっ面にスポーツカー パート2』
2022/6/19 Twitter投稿:再掲
※3部未読の方はネタバレ注意
3部本編に、こんなワンシーンがあればいいなと思う願望です。
ふわん、ふわん、とサイレンのような音が聞こえて顔を上げた。
いつかも聞いた音だ。こんな風に。後ろから。
音の出所に向けて顔を巡らせると、案の定。
街灯の頼りない光の下でももう細部まで思い描くことができる、馴染んだ緑のジャガーがすっと横に止まった。
——リチャード。
今、世界で一番会いたくて——誰よりも一番会いたくない相手が、運転席の窓から顔を出す。
「この後、お暇ですか」
「——…………っ」
何を言ってるんだ、と。
暇なわけがないじゃないか、と。
かっと頭に上った言葉は、けれど口に出るより先に勝手に動いた身体が乗り込んでしまった助手席のドアの閉まる音に吹き飛んでしまった。自分でもわけがわからない。歯を食いしばると、口の中で血の味がする。
それでも身体はいつもの流れをなぞろうとして、運転席に座った時の癖でシートベルトに伸ばした手が、空を切る前に何かに捕まった。
白い手。
ちょっとびっくりするくらい、温度の高い手。
違う、自分の手が冷たいのか。
先ほどから、まったく自分の言うことを聞かない身体は、のろのろと顔を上げてその手の先を目で追った。
——ああ。
少し離れた位置にあるらしい外灯の微かな明かりで、薄暗い車内がほんのりと照らされている。
浮かび上がるような白と、金。
だめだ、と。戦慄く唇を無意識に噛むと、こちらの手を捕まえていた手がゆっくり放されて、温度の高い両手がそっと頬に触れる。
逆光になって、リチャードがどんな顔をしているのか、こちらからは分からない。
逆に、リチャードにこちらの顔なんて丸わかりだろう。
きっと、史上最高に情けない顔をしているのだろう、この顔なんて。
「……今日は、かけないのか?」
「何をです」
「メタルとか。ロックとかさ」
「お聞きになりたいならかけて差し上げたいところですが、あいにく近所迷惑になるかと」
「あー、そうだよな」
なんとか笑おうとして、熱を持っている方の顔の半分が引き攣れた。
いてて、とわざとらしく言おうとした顔の横を、やさしい白が滑っていく。
引き寄せられたのだと気付いたころには、頭は完全にホールドされてしまっていた。
とくとく とくとく
ハザードがカチカチと立てる音と混ざって、静かに皮膚の向こう側から音が聞こえる。
自分の音とは違う、少しだけ速度の違う音。
何かを言おう、と。何かを言わないと、と口を開いては閉じ、開いては閉じ。
そうしているうちに、服も皮膚も全て取り払われて、身体の真ん中でむき出しになった魂みたいなものが包み込まれて、この温度に混ざってしまうような気になって。
「みのるくんを、泣かせちゃったんだ」
ぽろり、と言葉が零れていた。
「自分のお母さんの、あんなところを見せたくなかったのに」
「あんな顔で泣かせるつもりなんてなかったんだ」
一度零れてしまえば、穴が開いた堰を塞ぐのは一苦労で。情けない心情が流れ出て行ってしまうのを、リチャードはただ優しい相槌と柔らかく撫でる手のぬくもりで受け止めてくれた。
「みのるくんを、探さないと」
あんな風に泣いていたのに。今頃どこでどうしているんだろう。
時刻はすっかり夜だった。彼を早く見つけてあげなくては、と気持ちばかりが急いて、こんなところでへたり込んでいる場合ではないのにと自分を叱咤しようとした耳の近くで、「大丈夫です」と存外しっかりとした声が聞こえた。
「そちらに関してはご心配なく。みのるさまは駅前の量販店ですよ」
「え……」
「きちんと見ております。安心なさい」
「……そう、か……」
それもそうか。こんなところに自分を迎えにきたリチャードが、状況を知らないわけがない。そして、知っているのなら、きっと飛び出していった子どものことだって気にかけていないわけがないのだ。
もう一度そうか、と呟いたら何だか力が抜けてしまった。
「それに、あなたはまず病院です」
「え、でも、みのるくんを迎えに」
「そんな顔で行ってごらんなさい。みのるさまが怖がるのでは」
「でも」
「時間外診療の病院には連絡してあります。ここからすぐ近くです」
「リチャード」
多少身体を捻るような形だったにしても、ぴったりと重なるようだったハグが解かれて、二つ聞こえていたはずの音が離れていく。
そのことにどうしようもない寂しさを覚える自分に、自分で驚いた。
そのまま完全に離れてしまうと思われたリチャードの体温は、けれどまだ近くに留まったまま。
自分ではどうなっているのか見えない熱を持った頬の方を白い指が撫でて、走った痛みに反射でびくりと顔が動く。
「この腫れが引くまで、あなたはお客さまの前に顔を出すのは禁止です」
「ええ!?」
「当然でしょう。……ですから、早く治しなさい」
「……はい」
「痕など残したら許しませんよ」
「……っふ、ははっ、何だよそれ」
「そのままです」
シートベルトをしろと示されるのに大人しく今度は助手席のベルトを探る。
ゆっくり動き出した車の中。
ようやく深く呼吸をすることができた気がした。
ありがとうも、ごめんも、違う気がする。
それなら、これは一体何だろう。
「なあ、リチャード」
「はい」
「俺、本っっっっっっっっっっっっ」
「…………」
「っっ当に、お前に会えてよかったよ」
「左様ですか」
「左様です」
「ティッシュはダッシュボードの中です」
「知ってるよ」
思い切りよくティッシュに鼻を突っ込む間に、何かまだこちらの知らない言語が耳元をするりと掠めていった気がするけれど、聞き返してもきっと答えてもらえないんだろうなと思った。
多分、きっと、今はまだ。
『泣きっ面にスポーツカー パート2』
2022/6/19 Twitter投稿:再掲
