城内から宮森坂を下って、定食食った日々
公開 2025/11/08 00:00
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きれいな公園に整備した石川県からすれば「金沢城址」ではなく「金沢城」と言いたいのだと思いますが、僕らにとっては、永遠に城址(しろあと)ですね。
学生時代の4年間は、犀川の桜橋界隈に下宿していたので、朝は鱗町交差点の地下道をくぐり、MROの前を通り、左手に付属小学校(今は21世紀美術館に)を見ながら、兼六園の真弓坂をのぼり、あとは百万石通りを見下ろしながら、次第に近づく石川門を見て門をくぐっていました。
しかし、2年生の後期から学部にあがり、今の二の丸広場あたりに文系の校舎があったので、登下校のルートも変わってしまいました。下校時には、宮森坂を下って、中央公園を抜け、柿の木畠を通って竪町を通り抜け、新竪町に入って下宿へ、というコースでしたね(朝はその反対)。
と言っても学校が終わってすぐに帰れるわけではなく、様々な活動に勤しんでいた小生、様々なところに寄らねばならず、しかも夜中遅く、またキャンパスに舞い戻り、深夜に寝るためだけに下宿へ帰るというような生活でしたね。
でも、幸いなことに柿の木畠を通過するので、晩飯には困りませんでした。2大巨頭が、「ト一亭」(ずいぶん前に閉店、すき焼き定食が450円だった)と、「中華の北京」(店は今も健在、小エビ天定食うまかったなあ)ですねえ。
店名は思い出せなくても、当時は他にも安い定食屋がたくさんあったような気がします。今も懐かしいのはタテマチを少し横に入ったところに、店名は忘れたけど、店のど真ん中に囲炉裏みたいなのがあって、女剣劇の主人公のようなキリリとした風合いのおばちゃんがやってる店。焼き魚定食なんかを食っていたような記憶があります。
もう40年以上前の、遠い昔の話です。城跡は公園になり、城内に続き宮森坂もきれいに整備されたけど、今もこの道を歩くと、あの頃の自分に出会えるような気持になります。
(この記事は、旧gooブログの2021/9/21付記事の、再録です)
