自己認識と自己は似て非なるもの
公開 2026/01/11 00:50
最終更新
2026/01/11 00:50
似非って並びを見ると青春を思い出します。
某アーティストを追っかけていた頃。もはやお馴染みの単語でした。なんとなく分かるような気がする方、それで大丈夫です。いい意味で。
余談でした。本編に入ります。
ジョハリの窓みたいな話です。
自分が知っているつもりになっている自分は自己認識(セルフイメージ)に過ぎなくて、そのイメージが良い方向に向かっていればいいけれど、ネガティブな自己認識が枷のようになってしまうと、しんどくもありますよね。無意識のうちに、自分で自分に制限をかけているような。セルフイメージで描いている通りの自分に、知らないうちに縛られてるみたいな。
自己認識的には「ちょっとだけ明るい(かもしれない)陰キャ」なので、陽の方がうらやましいと感じることが度々あり。人とサクサク交流できて、物怖じしない人が眩しく見えます。
でも、側から見た自分は「いろんな人と普通に話してるよね?」って見えてる感じだったりもする。ぜんぜんそんなことないんですよ!!毎度毎度、内心ハラハラドキドキしながら話してるんですよ!!とか言うけれど、いまひとつ伝わらなかったり。一人称と二人称の間の、薄く柔いかもしれないけれど、確かに存在する壁。人間って平面じゃなくて多面的。だから難しくもあるけれど、それが深みでもある…みたいな話をしたところでした。とりあえず人から見た自分はその人によって違うので、いいと言われた部分はありがたく受け取っていこうと思う今日この頃です。そのへんをうまい具合に、セルフイメージに付け足していけたらいいな。
あと、前述の「人とサクサク交流できる人」みたいなタイプの人も、他人がそういう印象を抱いている傍ら、本心は分からないものだよなあと思ったり。人は意外性の塊でもあるのかもしれない。場合によっては、ギャップ萌えってやつですね。(ちょっと違う?)
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
某アーティストを追っかけていた頃。もはやお馴染みの単語でした。なんとなく分かるような気がする方、それで大丈夫です。いい意味で。
余談でした。本編に入ります。
ジョハリの窓みたいな話です。
自分が知っているつもりになっている自分は自己認識(セルフイメージ)に過ぎなくて、そのイメージが良い方向に向かっていればいいけれど、ネガティブな自己認識が枷のようになってしまうと、しんどくもありますよね。無意識のうちに、自分で自分に制限をかけているような。セルフイメージで描いている通りの自分に、知らないうちに縛られてるみたいな。
自己認識的には「ちょっとだけ明るい(かもしれない)陰キャ」なので、陽の方がうらやましいと感じることが度々あり。人とサクサク交流できて、物怖じしない人が眩しく見えます。
でも、側から見た自分は「いろんな人と普通に話してるよね?」って見えてる感じだったりもする。ぜんぜんそんなことないんですよ!!毎度毎度、内心ハラハラドキドキしながら話してるんですよ!!とか言うけれど、いまひとつ伝わらなかったり。一人称と二人称の間の、薄く柔いかもしれないけれど、確かに存在する壁。人間って平面じゃなくて多面的。だから難しくもあるけれど、それが深みでもある…みたいな話をしたところでした。とりあえず人から見た自分はその人によって違うので、いいと言われた部分はありがたく受け取っていこうと思う今日この頃です。そのへんをうまい具合に、セルフイメージに付け足していけたらいいな。
あと、前述の「人とサクサク交流できる人」みたいなタイプの人も、他人がそういう印象を抱いている傍ら、本心は分からないものだよなあと思ったり。人は意外性の塊でもあるのかもしれない。場合によっては、ギャップ萌えってやつですね。(ちょっと違う?)
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
