野生動物についての考え方というてもね
公開 2025/04/27 20:55
最終更新
-
野生動物についての考え方というてもね、という。
たまたま、オーストラリアの野生動物への考え方を知り、日本での野生動物への考え方を知りたいと、強く思うのであった。
オーストラリアでの過去に絶滅がどうのこうのとはいうが、
いうて日本もニホンオオカミを絶滅させとるしなあとなってしまうお気持ち。
ニホンオオカミについては、間違った知識のような気がする。
ただ、確か、危険だからって殺してたら絶滅したんではなかったかね?
人間のエゴだ!!
というのは、なんか、どの視点からいってるんだろうな……。
私は今、ペットの家族はいない。
中学生まで、番犬がいた。まじもんの番犬であり、感覚として、ペットではない。
高校生まで、観賞魚を飼ってた。観賞魚の方がよっぽどペットだ。ただ、観賞魚屋は苦手だった。エゴではなく、観賞魚はすぐ死ぬ。観賞魚屋の環境でも、たくさんの観賞魚が死ぬ場所だろうなと思っていたので。
(ただまあ、言うならば。一匹だけ、エンゼルフィッシュがデカく生きた。長いこと生きたから、死んだ時はいわゆるペットロス状態になった)
この経験から、
ペットは家族である。
と
ペットと野生動物は別の存在である。
は同時に成立すると思う。
別に喧嘩することはない。
だって、別物じゃん。と。
さらに付け加えるなら、
ペットと野生動物と仕事動物は別の存在である。
も一緒に成立するぞ。
なんにも違和感はない。そういうもんだ。
何事も混同するからややこしくなる。
私はペットも野生動物も仕事動物も、それぞれの生き方が尊いと思う。
どこも汚いところはない。
全部、それぞれの役目がある。
さて。なんだったかな。
そうだ混同だ。
別の存在を混同するからややこしくなる。
問題のすげかえなんて最もややこしくなる。
論文で書いたら質問されまくりだぞ。
私は文系だから、理系のあれこれは怖い話と聞いて愉快だが。なお、文系でも質問はそれなりに飛ぶぞ。自分の論理を理解し、その上で答えるんだ。
で、問題の混同が「正義」だと思っている層がなかなかに居るな?
と思ってきた。
たぶん、問題に対する「例え話」と「混同」の差異が分からないのだろう。
ここで言う「例え話」は、問題を理解しない相手(他業種など)に、問題を分解して、組み直すのだ。つまり問題自体はなんにも変わっとらん。
ここで言う「混同」は、問題に対して別の問題を持ってきて話すことだ。つまり、それもう元の問題では無いよな。と、問題自体が変わっている。
これが、冒頭に戻る。
たまたま、オーストラリアの野生動物への考え方を知り、日本での野生動物への考え方を知りたいと、強く思うのであった
主語が抜けてるな。私がそう思ったのだ。
(日本語は主語が抜けていても成立する訳わからん言語だから議論に向かないと常々思う。私は日本文学を研究したが)
つまり、この二件は別の問題だから、それぞれ別の問題として、きちんと学びたいぞ!という意思表示と願望である。
なにか良い本があるといいな。
紙の本をまた増やしてと本棚に怒られそうだ。
※全てテキトーなぼやきである。
たまたま、オーストラリアの野生動物への考え方を知り、日本での野生動物への考え方を知りたいと、強く思うのであった。
オーストラリアでの過去に絶滅がどうのこうのとはいうが、
いうて日本もニホンオオカミを絶滅させとるしなあとなってしまうお気持ち。
ニホンオオカミについては、間違った知識のような気がする。
ただ、確か、危険だからって殺してたら絶滅したんではなかったかね?
人間のエゴだ!!
というのは、なんか、どの視点からいってるんだろうな……。
私は今、ペットの家族はいない。
中学生まで、番犬がいた。まじもんの番犬であり、感覚として、ペットではない。
高校生まで、観賞魚を飼ってた。観賞魚の方がよっぽどペットだ。ただ、観賞魚屋は苦手だった。エゴではなく、観賞魚はすぐ死ぬ。観賞魚屋の環境でも、たくさんの観賞魚が死ぬ場所だろうなと思っていたので。
(ただまあ、言うならば。一匹だけ、エンゼルフィッシュがデカく生きた。長いこと生きたから、死んだ時はいわゆるペットロス状態になった)
この経験から、
ペットは家族である。
と
ペットと野生動物は別の存在である。
は同時に成立すると思う。
別に喧嘩することはない。
だって、別物じゃん。と。
さらに付け加えるなら、
ペットと野生動物と仕事動物は別の存在である。
も一緒に成立するぞ。
なんにも違和感はない。そういうもんだ。
何事も混同するからややこしくなる。
私はペットも野生動物も仕事動物も、それぞれの生き方が尊いと思う。
どこも汚いところはない。
全部、それぞれの役目がある。
さて。なんだったかな。
そうだ混同だ。
別の存在を混同するからややこしくなる。
問題のすげかえなんて最もややこしくなる。
論文で書いたら質問されまくりだぞ。
私は文系だから、理系のあれこれは怖い話と聞いて愉快だが。なお、文系でも質問はそれなりに飛ぶぞ。自分の論理を理解し、その上で答えるんだ。
で、問題の混同が「正義」だと思っている層がなかなかに居るな?
と思ってきた。
たぶん、問題に対する「例え話」と「混同」の差異が分からないのだろう。
ここで言う「例え話」は、問題を理解しない相手(他業種など)に、問題を分解して、組み直すのだ。つまり問題自体はなんにも変わっとらん。
ここで言う「混同」は、問題に対して別の問題を持ってきて話すことだ。つまり、それもう元の問題では無いよな。と、問題自体が変わっている。
これが、冒頭に戻る。
たまたま、オーストラリアの野生動物への考え方を知り、日本での野生動物への考え方を知りたいと、強く思うのであった
主語が抜けてるな。私がそう思ったのだ。
(日本語は主語が抜けていても成立する訳わからん言語だから議論に向かないと常々思う。私は日本文学を研究したが)
つまり、この二件は別の問題だから、それぞれ別の問題として、きちんと学びたいぞ!という意思表示と願望である。
なにか良い本があるといいな。
紙の本をまた増やしてと本棚に怒られそうだ。
※全てテキトーなぼやきである。
すのまえです。何とか生きてる。
どっかで趣味の字書きしてる。
どっかで趣味の字書きしてる。
最近の記事
タグ
