現パロ俳優ジェフティナ◇第3話さらにつづき
公開 2024/07/12 19:52
最終更新
-
▽
薄曇りの空の下、俺とティナは公園のベンチに並んで腰掛け、大きな噴水が水のアーチを描くのを見ていた。
劇場から出て大通りを横断し、十分ほど歩いたところにあるこの公園は近隣の中で最も大きく、緑も多いところから、森林公園の愛称で親しまれている。
夕方に差し掛かる今の時間帯は、時折俺たちの目の前をランニングする若者が横切ったり、犬の散歩をするご婦人が通る程度で利用者は少なかった。
噴水が一旦ぴたりと止まり、アーチもぱしゃんと水面に散る。
数秒後、再びぱっとアーチが描かれる——
——ここにやって来て数分、俺もティナも互いに口を開くことはなく、ぼんやりと噴水を眺めていた。
二人とも、素晴らしい劇を楽しんだ後の高揚感などの余韻とはまるで異なる、胸の奥にどろりとしたものを抱えて持て余している……そんな気がする。
少し公園を歩いてから帰ろうと提案したのは俺だったか、それともティナの方だったか。
とにかく、このモヤモヤを抱えたまま帰りたくないとお互いに感じているのだと思う。
俺が、ディーンとカタリーナから知らされた事実。
それから、別れ際にティナがアレサに聞かされたこと——
いやそもそも、今回モブリズの様子を見たことでティナも薄々勘付いたのかもしれない。
これからどうするのか。
ティナは今後、ベクタとどう向き合っていくのだろう……
「——ごめんなさいね」
「えっ」
「最後、なんだかバタバタしちゃって。あなたのことも引き留めてしまったわ」
我に返り左隣を見ると、ティナの綺麗な瞳がこちらを伺うように見上げていた。
その穏やかな表情からは、不安など感じられない。俺が夢中になってやまない、いつもの素敵なティナだった。
俺は慌てて顔の前で手を振ってみせた。
「いや、そんな!全然平気ですよ、今日は一日オフなんだから。ティナの古巣の雰囲気が分かって楽しかったですし、それに——」
ティナが話しかけてくれたことで、俺の中のモヤモヤも軽くなった。
そうだ、今はとにかくティナとの時間を大事にしよう。先々の悩みなんて、ここで俺が考え込んでもどうしようもないのだから。
「——とにかく、劇が最初から最後まで素晴らしかった。最高でした。主役の二人ももちろんだけど、ステージ上に出てきた全員の表情が生き生きしてた。出番が少ない子も台詞がない子も、全員です」
「そうね、最高の舞台だった……。主役のエルとジェイクは、今年モブリズを卒業して俳優デビューが決まったんですって。リターナープロさんにお世話になるんだとか」
リターナープロ!
それはすごい。あれほど華のある二人なのだ、スカウトやバナン社長のお眼鏡に叶うのも納得できる。
……俺も、早く続かないとな。
「私の両親……劇団モブリズのトップが亡くなって七年経つけれど、両親の目指した劇団のカラーは全然色褪せてない。ううん、それどころか私がいた頃よりもずっと魅力的な劇団になってた。ディーンとカタリーナがみんなを引っ張ってくれて、団員みんながキラキラ輝ける舞台を作り上げてた……とても誇らしい気持ちになれたわ」
そう語るティナの表情は晴れやかで、懐かしそうで……そして、やっぱり少し寂しそうだ。
ベクタ総業からの現状の扱いを考えると、ティナはモブリズと頻繁に連絡を取りにくいのだろう。
ディーンたちもまた、ケフカに脅されている手前、ティナに密に接触することは控えざるを得ない。
互いを案じていながら、両者の距離は七年前に引き離されたまま近付くことができずにいる。
いつかこの状況が打開できたなら、また以前のようにティナが気軽にモブリズに行き来できるようになるのだろうけれど……。
「劇団モブリズのカラー……か。俺も、すごく勉強になりました。俺は今まで、演技っていうのは台本を丸暗記して、書かれている通りなぞっていくことしか考えてなかったんだ。だけど今日、あのステージで演技するみんなを見てたら、やっぱりそれだけじゃダメだって。セッツァーに良く言われてた、俺に足りなかったものが何なのかが分かった気がした。本当にありがとうございます、誘ってくれて」
「ふふ、良かった。そんなに喜んで貰えたなら、私も誘った甲斐があったわ」
ティナは微笑み、何かを思い出すように一呼吸おいてから続けた。
「台本を全て覚えることも、もちろんとても大切なことよ。役者さんによっては、自分の出番があるページだけサッと読んで済ませてしまう人もいるけれど……私もやっぱり、台本はしっかり読んだ上で本番に入るようにしてた。そうじゃないと、私が本当に大切にしたいことも実践できないから」
「本当に大切にしたいこと……それって、どんなことですか?いや、企業秘密なら無理には聞けないけど」
「そんなことないわ。寧ろ、あなたのように真剣に俳優を目指す人の為なら何でもアドバイスしたいくらいなの」
ティナが顔の前で両手をぽんと鳴らすのと同時に、止まっていた噴水のアーチが勢いよく上がった。
相手が素人の俺とは言え、あまりに突っ込んだ質問は控えるべきかと思ったが、寧ろティナは良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりに前のめりになっている。
可愛い。
腰が抜けるほど可愛い。
「本当に大切にしたいことは——
——自分のお芝居を、“誰”に届けたいか。それを常に意識してる」
「誰に、届けたいか。それって視聴者とか、舞台を見ている観客……とか?」
「そう。そこから更に、届けたい相手を絞り込むイメージなの。なかなか言葉で上手く言えないのだけれど……どう言えば良いかしら」
頬に手を添えて考え込み、ティナは「そうだわ」と顔を上げた。
「エドガーは、“星のゆく先”を見てくれていたのよね。どんなドラマだったか覚えてる?」
「もちろんですよ!全話録画してあるし、数えきれないくらいリピートして見たんだから」
「それは嬉しいわね。じゃあ、特に覚えている場面や好きな場面はあるかしら」
「それはやっぱり、相手役のジョーとの別れの場面ですね。あの回はいつ見ても涙が止まらなくなるんだ」
「うん……オーケイ、分かった」
問われて即答すると、ティナはテンポよく頷いて立ち上がった。
さっと周囲の様子を確認している。
先ほどまで時折行き来していた通行人の姿もなく、この噴水の広場にはティナと俺の二人きりだ。
「これから、その場面のお芝居をしてみるから、エドガーは少し離れた場所で見ていて」
「えっ⁉︎い、今からですか?ここで⁉︎」
まさかの事態に俺は思わず大声で聞いてしまった。
ティナ・Bの演技が見られる?
それも、あの国民的大ヒットドラマの名場面の……⁉︎
「そうよ、今、ここでね。私がお芝居をする上で心掛けていることが、少しでも伝われば良いけれど」
「夢みたいだ……」
「うふふ、大袈裟ね。……そう、エドガーにはあの噴水の手前に……ちょうどドラマのジョーの立ち位置と同じくらいの場所で見ていてくれれば」
つまり、俺はティナの相手役として演技が見られるんだ。
あの名場面の台詞ひとつひとつを、ティナが、俺に向けて言ってくれるんだ……
ああ、夢なら覚めないでくれ!
俺は夢心地の足取りで、ティナに指示された立ち位置へと向かった——
▽
十年前に大ヒットした連続TVドラマ『星のゆく先』。
当時十七歳のティナ・Bのデビュー作として話題になったそのドラマは内容も好評で、中でも最高の名場面のひとつとして名高いのが、物語終盤に訪れるヒロインと相手役の別れの場面だ。
全十二話のうちの十話で描かれるその場面は、ティナ演じるヒロインのルイが、恋人同然の相手役ジョーに別れを告げる——
そんな内容だ。
この時点でルイとジョーはまだ明確に恋人関係には至っていなかったものの、記憶を失い天涯孤独だったルイに常に寄り添い、彼女の困難には誰よりも早く手を差し伸べてきたジョーの活躍に、視聴者は誰もがこの二人が結ばれて大団円だろうと予想したものだ。
だから、十話でルイがジョーとの決別を選択したことはまさかの展開で、放送翌日には朝の情報番組やワイドショーまで総出で大騒ぎになった。
衝撃の展開、そしてルイを演じたティナ・Bの名演技は見た者全ての心に刺さり、涙させた——
——あの名場面を、まさかティナがこの場で再現してくれるなんて。
俺はその場面の流れを出来る限り思い出しながら、ルイに相対するジョーに成り切ろうと試みた。
公演の噴水のほど近くに、ルイがいる。
大切な話があるのだと呼び出された俺、ジョーは固唾を飲んで、彼女がこれから何を言うのかを待つ。
「始めるわね」とティナがこちらに声をかけ、深呼吸をして眼を伏せた。
そうして、ゆっくりとティナが眼を開いた瞬間——
「……⁉︎」
——空気が、いや。
空間が……かわった。
確かにここは、劇場そばの森林公園なのに。
それなのに俺は、その瞬間に引き込まれてしまった。
テレビで何度も観た『星のゆく先』第十話の中の一場面、その真っ只中に。
今にも雨が降り出しそうな夕方の空の下、ティナ——
いやルイは、俺に向かってはっきりと告げた。
『あなたを愛しているわ』
愛の告白は、決別の宣言だ。
今生の別れの覚悟を持って、ルイはジョーに澱みない口調で言った。
『だから、私は一人で生きていく。
あなたと幸せになりたいと、心の底から思っていた。だけど、私があなたの手を取るということは、あなたが家族を捨てるということ……そんなことは、させられない』
記憶を失い孤独に生きてきたルイとは対照的に、ジョーは名家の長男という身の上だ。
それでもジョーは、運命的に出会ったルイに一目で夢中になり、彼女の失われた過去を取り戻すために共に奔走してきた。
そして、この十話。
ここまで紆余曲折を経て遂に互いの想いが同じであると確信できた矢先に、ルイが選択したのは別離だった。
ジョーは自分の家も家族も捨てて、ルイと駆け落ちするつもりでいる——
——その考えを知ったとき、ルイの意志は固まった……ドラマの上では、そんな成り行きだ。
そう、あくまでもドラマの上での話……。
それなのに。
『私はここまで、あなたに沢山助けてもらった。自分が何者かさえも分からない私が、あなたに傍にいてもらえてどれほど救われてきたか……』
それなのに、この胸の高鳴りは何だろう。
ティナが演技に入った瞬間から、ルイの台詞のひとつひとつが俺の心を激しく揺さぶり続けている。
これはドラマの再現に過ぎない筈だ、そう自分に言い聞かせて平静を保とうとしても、俺の心はもはやエドガーではなく、ジョーの意識と同調してしまっているようだ。
『……だからこそ、ここでお別れしなくちゃいけない。私のせいで、あなたにまで大切なご家族を失わせるわけにはいかないの。あなたを、不幸にしたくない』
『不幸になんか、なるもんか』
俺の口から、とても自然に言葉が滑り出した。
これはジョーの台詞だ。
何度も繰り返し見たこの場面を、俺はよく覚えている。
だがその記憶に頼ることなく、俺は続く台詞も口にしていた。
『救われたのはボクのほうだ。家族に敷かれたレールをただ進むだけの人生を、キミとの出会いが変えてくれたんだ。ボクはこれからもずっとキミと生きたい、キミがいてくれればそれで——』
『やめて』
ルイは、はっきりと拒絶した。
それと同時に、空からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。
ここまでドラマの場面そのものだ。
これは、ただの偶然……なのだろうか。
『このまま二人で進めば、必ずあなたも私も後悔する。そう遠くない未来に、あなたと憎しみ合うことになる……
そうなる前に、お別れをしたい。いま、誰よりもあなたを愛している気持ちを抱き締めたまま、お別れしたいの』
ジョーには、何も言えない。
切り出された別れを拒みきれないのは、ジョー自身、ルイの言葉に少なからず心当たりがあるからだ。
何の憂いもなく諸手を挙げてルイを攫う決断が、ボクにはできないんだ。
こんなに愛しているのに。
なのにボクには、何もできない。
何も言えない——
——……ボク?
何だって?
『今まで本当にありがとう、ジョー。あなたのこと、絶対に忘れない。
……さよなら』
ルイが背を向け、歩き出す。
雨粒が徐々に大きくなり、あっという間に本降りになる。
やがて、カメラは遠ざかるルイの背を見送り立ち尽くすしかないジョーから、雨に打たれながら歩き続けるルイの正面に回り込み、その表情にズームする。
雨とも涙ともつかないほどに号泣しながら、それでも歩き続けるルイの表情を。
ここで、『星のゆく先』第十話は終幕する。
大いなる別れを演じ切った女優ティナ・Bが一躍トップスターに躍り出る伝説の名場面だ——
「——さよならはできない。一人でなんか、行かせない!」
ボクは……俺は、去り行くルイに追いすがり、その細身を力一杯抱き締めた。
こんな台詞も芝居も、実際のドラマには存在しない。
でもジョーの魂が、ドラマの中で別れを選ばざるを得なかった彼の無念が、俺を突き動かした気がした。
「キミを想い続ける!何が起こっても、どれだけ時間が経とうとも俺は、ボクはキミを……あなたを……!」
なおも口から流れ出る言葉が、最早俺の言葉なのかジョーの台詞なのかは判別がつかない。
現実と虚構で混濁する意識のなか、俺は必死でずぶ濡れのティナを抱きすくめた。
どれくらいそうしていただろう。
暫し俺の腕の中で微動だにしなかったティナの手が、そっと俺の背に回された。
やがて大きな眼にいっぱい涙を湛えたティナが顔をあげ、一言だけ囁いた。
「ありがとう。私、すごく幸せよ」
▽
薄曇りの空の下、俺とティナは公園のベンチに並んで腰掛け、大きな噴水が水のアーチを描くのを見ていた。
劇場から出て大通りを横断し、十分ほど歩いたところにあるこの公園は近隣の中で最も大きく、緑も多いところから、森林公園の愛称で親しまれている。
夕方に差し掛かる今の時間帯は、時折俺たちの目の前をランニングする若者が横切ったり、犬の散歩をするご婦人が通る程度で利用者は少なかった。
噴水が一旦ぴたりと止まり、アーチもぱしゃんと水面に散る。
数秒後、再びぱっとアーチが描かれる——
——ここにやって来て数分、俺もティナも互いに口を開くことはなく、ぼんやりと噴水を眺めていた。
二人とも、素晴らしい劇を楽しんだ後の高揚感などの余韻とはまるで異なる、胸の奥にどろりとしたものを抱えて持て余している……そんな気がする。
少し公園を歩いてから帰ろうと提案したのは俺だったか、それともティナの方だったか。
とにかく、このモヤモヤを抱えたまま帰りたくないとお互いに感じているのだと思う。
俺が、ディーンとカタリーナから知らされた事実。
それから、別れ際にティナがアレサに聞かされたこと——
いやそもそも、今回モブリズの様子を見たことでティナも薄々勘付いたのかもしれない。
これからどうするのか。
ティナは今後、ベクタとどう向き合っていくのだろう……
「——ごめんなさいね」
「えっ」
「最後、なんだかバタバタしちゃって。あなたのことも引き留めてしまったわ」
我に返り左隣を見ると、ティナの綺麗な瞳がこちらを伺うように見上げていた。
その穏やかな表情からは、不安など感じられない。俺が夢中になってやまない、いつもの素敵なティナだった。
俺は慌てて顔の前で手を振ってみせた。
「いや、そんな!全然平気ですよ、今日は一日オフなんだから。ティナの古巣の雰囲気が分かって楽しかったですし、それに——」
ティナが話しかけてくれたことで、俺の中のモヤモヤも軽くなった。
そうだ、今はとにかくティナとの時間を大事にしよう。先々の悩みなんて、ここで俺が考え込んでもどうしようもないのだから。
「——とにかく、劇が最初から最後まで素晴らしかった。最高でした。主役の二人ももちろんだけど、ステージ上に出てきた全員の表情が生き生きしてた。出番が少ない子も台詞がない子も、全員です」
「そうね、最高の舞台だった……。主役のエルとジェイクは、今年モブリズを卒業して俳優デビューが決まったんですって。リターナープロさんにお世話になるんだとか」
リターナープロ!
それはすごい。あれほど華のある二人なのだ、スカウトやバナン社長のお眼鏡に叶うのも納得できる。
……俺も、早く続かないとな。
「私の両親……劇団モブリズのトップが亡くなって七年経つけれど、両親の目指した劇団のカラーは全然色褪せてない。ううん、それどころか私がいた頃よりもずっと魅力的な劇団になってた。ディーンとカタリーナがみんなを引っ張ってくれて、団員みんながキラキラ輝ける舞台を作り上げてた……とても誇らしい気持ちになれたわ」
そう語るティナの表情は晴れやかで、懐かしそうで……そして、やっぱり少し寂しそうだ。
ベクタ総業からの現状の扱いを考えると、ティナはモブリズと頻繁に連絡を取りにくいのだろう。
ディーンたちもまた、ケフカに脅されている手前、ティナに密に接触することは控えざるを得ない。
互いを案じていながら、両者の距離は七年前に引き離されたまま近付くことができずにいる。
いつかこの状況が打開できたなら、また以前のようにティナが気軽にモブリズに行き来できるようになるのだろうけれど……。
「劇団モブリズのカラー……か。俺も、すごく勉強になりました。俺は今まで、演技っていうのは台本を丸暗記して、書かれている通りなぞっていくことしか考えてなかったんだ。だけど今日、あのステージで演技するみんなを見てたら、やっぱりそれだけじゃダメだって。セッツァーに良く言われてた、俺に足りなかったものが何なのかが分かった気がした。本当にありがとうございます、誘ってくれて」
「ふふ、良かった。そんなに喜んで貰えたなら、私も誘った甲斐があったわ」
ティナは微笑み、何かを思い出すように一呼吸おいてから続けた。
「台本を全て覚えることも、もちろんとても大切なことよ。役者さんによっては、自分の出番があるページだけサッと読んで済ませてしまう人もいるけれど……私もやっぱり、台本はしっかり読んだ上で本番に入るようにしてた。そうじゃないと、私が本当に大切にしたいことも実践できないから」
「本当に大切にしたいこと……それって、どんなことですか?いや、企業秘密なら無理には聞けないけど」
「そんなことないわ。寧ろ、あなたのように真剣に俳優を目指す人の為なら何でもアドバイスしたいくらいなの」
ティナが顔の前で両手をぽんと鳴らすのと同時に、止まっていた噴水のアーチが勢いよく上がった。
相手が素人の俺とは言え、あまりに突っ込んだ質問は控えるべきかと思ったが、寧ろティナは良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりに前のめりになっている。
可愛い。
腰が抜けるほど可愛い。
「本当に大切にしたいことは——
——自分のお芝居を、“誰”に届けたいか。それを常に意識してる」
「誰に、届けたいか。それって視聴者とか、舞台を見ている観客……とか?」
「そう。そこから更に、届けたい相手を絞り込むイメージなの。なかなか言葉で上手く言えないのだけれど……どう言えば良いかしら」
頬に手を添えて考え込み、ティナは「そうだわ」と顔を上げた。
「エドガーは、“星のゆく先”を見てくれていたのよね。どんなドラマだったか覚えてる?」
「もちろんですよ!全話録画してあるし、数えきれないくらいリピートして見たんだから」
「それは嬉しいわね。じゃあ、特に覚えている場面や好きな場面はあるかしら」
「それはやっぱり、相手役のジョーとの別れの場面ですね。あの回はいつ見ても涙が止まらなくなるんだ」
「うん……オーケイ、分かった」
問われて即答すると、ティナはテンポよく頷いて立ち上がった。
さっと周囲の様子を確認している。
先ほどまで時折行き来していた通行人の姿もなく、この噴水の広場にはティナと俺の二人きりだ。
「これから、その場面のお芝居をしてみるから、エドガーは少し離れた場所で見ていて」
「えっ⁉︎い、今からですか?ここで⁉︎」
まさかの事態に俺は思わず大声で聞いてしまった。
ティナ・Bの演技が見られる?
それも、あの国民的大ヒットドラマの名場面の……⁉︎
「そうよ、今、ここでね。私がお芝居をする上で心掛けていることが、少しでも伝われば良いけれど」
「夢みたいだ……」
「うふふ、大袈裟ね。……そう、エドガーにはあの噴水の手前に……ちょうどドラマのジョーの立ち位置と同じくらいの場所で見ていてくれれば」
つまり、俺はティナの相手役として演技が見られるんだ。
あの名場面の台詞ひとつひとつを、ティナが、俺に向けて言ってくれるんだ……
ああ、夢なら覚めないでくれ!
俺は夢心地の足取りで、ティナに指示された立ち位置へと向かった——
▽
十年前に大ヒットした連続TVドラマ『星のゆく先』。
当時十七歳のティナ・Bのデビュー作として話題になったそのドラマは内容も好評で、中でも最高の名場面のひとつとして名高いのが、物語終盤に訪れるヒロインと相手役の別れの場面だ。
全十二話のうちの十話で描かれるその場面は、ティナ演じるヒロインのルイが、恋人同然の相手役ジョーに別れを告げる——
そんな内容だ。
この時点でルイとジョーはまだ明確に恋人関係には至っていなかったものの、記憶を失い天涯孤独だったルイに常に寄り添い、彼女の困難には誰よりも早く手を差し伸べてきたジョーの活躍に、視聴者は誰もがこの二人が結ばれて大団円だろうと予想したものだ。
だから、十話でルイがジョーとの決別を選択したことはまさかの展開で、放送翌日には朝の情報番組やワイドショーまで総出で大騒ぎになった。
衝撃の展開、そしてルイを演じたティナ・Bの名演技は見た者全ての心に刺さり、涙させた——
——あの名場面を、まさかティナがこの場で再現してくれるなんて。
俺はその場面の流れを出来る限り思い出しながら、ルイに相対するジョーに成り切ろうと試みた。
公演の噴水のほど近くに、ルイがいる。
大切な話があるのだと呼び出された俺、ジョーは固唾を飲んで、彼女がこれから何を言うのかを待つ。
「始めるわね」とティナがこちらに声をかけ、深呼吸をして眼を伏せた。
そうして、ゆっくりとティナが眼を開いた瞬間——
「……⁉︎」
——空気が、いや。
空間が……かわった。
確かにここは、劇場そばの森林公園なのに。
それなのに俺は、その瞬間に引き込まれてしまった。
テレビで何度も観た『星のゆく先』第十話の中の一場面、その真っ只中に。
今にも雨が降り出しそうな夕方の空の下、ティナ——
いやルイは、俺に向かってはっきりと告げた。
『あなたを愛しているわ』
愛の告白は、決別の宣言だ。
今生の別れの覚悟を持って、ルイはジョーに澱みない口調で言った。
『だから、私は一人で生きていく。
あなたと幸せになりたいと、心の底から思っていた。だけど、私があなたの手を取るということは、あなたが家族を捨てるということ……そんなことは、させられない』
記憶を失い孤独に生きてきたルイとは対照的に、ジョーは名家の長男という身の上だ。
それでもジョーは、運命的に出会ったルイに一目で夢中になり、彼女の失われた過去を取り戻すために共に奔走してきた。
そして、この十話。
ここまで紆余曲折を経て遂に互いの想いが同じであると確信できた矢先に、ルイが選択したのは別離だった。
ジョーは自分の家も家族も捨てて、ルイと駆け落ちするつもりでいる——
——その考えを知ったとき、ルイの意志は固まった……ドラマの上では、そんな成り行きだ。
そう、あくまでもドラマの上での話……。
それなのに。
『私はここまで、あなたに沢山助けてもらった。自分が何者かさえも分からない私が、あなたに傍にいてもらえてどれほど救われてきたか……』
それなのに、この胸の高鳴りは何だろう。
ティナが演技に入った瞬間から、ルイの台詞のひとつひとつが俺の心を激しく揺さぶり続けている。
これはドラマの再現に過ぎない筈だ、そう自分に言い聞かせて平静を保とうとしても、俺の心はもはやエドガーではなく、ジョーの意識と同調してしまっているようだ。
『……だからこそ、ここでお別れしなくちゃいけない。私のせいで、あなたにまで大切なご家族を失わせるわけにはいかないの。あなたを、不幸にしたくない』
『不幸になんか、なるもんか』
俺の口から、とても自然に言葉が滑り出した。
これはジョーの台詞だ。
何度も繰り返し見たこの場面を、俺はよく覚えている。
だがその記憶に頼ることなく、俺は続く台詞も口にしていた。
『救われたのはボクのほうだ。家族に敷かれたレールをただ進むだけの人生を、キミとの出会いが変えてくれたんだ。ボクはこれからもずっとキミと生きたい、キミがいてくれればそれで——』
『やめて』
ルイは、はっきりと拒絶した。
それと同時に、空からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。
ここまでドラマの場面そのものだ。
これは、ただの偶然……なのだろうか。
『このまま二人で進めば、必ずあなたも私も後悔する。そう遠くない未来に、あなたと憎しみ合うことになる……
そうなる前に、お別れをしたい。いま、誰よりもあなたを愛している気持ちを抱き締めたまま、お別れしたいの』
ジョーには、何も言えない。
切り出された別れを拒みきれないのは、ジョー自身、ルイの言葉に少なからず心当たりがあるからだ。
何の憂いもなく諸手を挙げてルイを攫う決断が、ボクにはできないんだ。
こんなに愛しているのに。
なのにボクには、何もできない。
何も言えない——
——……ボク?
何だって?
『今まで本当にありがとう、ジョー。あなたのこと、絶対に忘れない。
……さよなら』
ルイが背を向け、歩き出す。
雨粒が徐々に大きくなり、あっという間に本降りになる。
やがて、カメラは遠ざかるルイの背を見送り立ち尽くすしかないジョーから、雨に打たれながら歩き続けるルイの正面に回り込み、その表情にズームする。
雨とも涙ともつかないほどに号泣しながら、それでも歩き続けるルイの表情を。
ここで、『星のゆく先』第十話は終幕する。
大いなる別れを演じ切った女優ティナ・Bが一躍トップスターに躍り出る伝説の名場面だ——
「——さよならはできない。一人でなんか、行かせない!」
ボクは……俺は、去り行くルイに追いすがり、その細身を力一杯抱き締めた。
こんな台詞も芝居も、実際のドラマには存在しない。
でもジョーの魂が、ドラマの中で別れを選ばざるを得なかった彼の無念が、俺を突き動かした気がした。
「キミを想い続ける!何が起こっても、どれだけ時間が経とうとも俺は、ボクはキミを……あなたを……!」
なおも口から流れ出る言葉が、最早俺の言葉なのかジョーの台詞なのかは判別がつかない。
現実と虚構で混濁する意識のなか、俺は必死でずぶ濡れのティナを抱きすくめた。
どれくらいそうしていただろう。
暫し俺の腕の中で微動だにしなかったティナの手が、そっと俺の背に回された。
やがて大きな眼にいっぱい涙を湛えたティナが顔をあげ、一言だけ囁いた。
「ありがとう。私、すごく幸せよ」
▽
FF6、FF12二次創作字書きです。割と良くある話ばかり書いてます( ◜ω◝ )
最近の記事
タグ