現パロ俳優ジェフティナ◇3話冒頭
公開 2024/05/29 16:56
最終更新
2024/05/29 17:00
七年前。
ある蒸し暑い夏の夜に、その事故は起こった。
劇団モブリズの経営者・マディンが運転する自家用車が見通しの良い国道を走行中、交差点で信号無視の軽ワゴンに衝突され大破。
マディンも、助手席に同乗していた妻マドリーヌも即死であった。
軽ワゴンを運転していた男はその場から逃走、現在も捕まっていない。
当時人気絶頂であった女優ティナ・Bの所属する劇団に訪れた突然の悲劇は複数の週刊誌やワイドショーに取り上げられ、世間の同情を呼んだ。
やがてそのニュースが沈静化して間もなく、ティナ・Bの名は再び各メディアのトップ項目を飾ることになる。
『女優ティナ・B、二十歳の決断。劇団モブリズからベクタ総業へ電撃移籍——』
痛ましい事故から半年足らずの移籍は様々な憶測を呼んだものの、どのメディアも深入りを避け、事実を淡々と伝えるのみに留まった。
その後、女優ティナ・Bのドラマや映画、広告への出演数は激減。
彼女の足跡は表舞台から遠去かっていった……
「七年前……七年前、ねえ……ああ、ちょうど私がリターナープロから退職した年だわ。道理で……」
閉店後のカフェ・ファルコンのカウンターに広げたファイルを眺め、ダリルは溜息を吐いた。
ロックから拝借したこのファイルには、七年前の芸能関係者が関わった事件や事故、不祥事を含めた報道記事がスクラップされている。
中でも大きな付箋が付けられた記事を幾度となく読み返し、ダリルは手にしていた煙草を力任せに灰皿に押し付けた。
「どう見てもタイミングが良すぎるじゃないの。だけど、いくらベクタと言ったってそこまでのことは——」
独り言が終わらぬうちに、ダリルの背後でドアベルが鳴った。
closedの札の提げられたガラス扉をゆっくりと開き、その客人はダリルに向かって手を挙げた。
「遅くなってすまんな。少々立て込んでおった」
「お疲れ様、社長。こちらこそごめんなさいね、忙しいのにお呼びたてしちゃって」
社長と呼ばれた初老の客人——
——かつてダリルも勤めていた大手芸能事務所リターナープロの社長・バナンにカウンター席を勧めつつ、ダリルは立ち上がりお茶の支度を始めた。
バナン用にグリーンティと、自分用にエスプレッソを淹れる。
その間バナンは、店の壁を飾るヴィンテージのレコードジャケットや、大きく引き伸ばされた風景写真を眺めていた。
「それ。良い写真でしょう」
バナンが一枚の風景写真に視線を止めたのを見て取り、ダリルが言った。
「ウチのバイト君が家族旅行に行ったときに撮ったんですってよ」
それは、広大な砂漠の写真だ。
鮮やかな青空の下に雄大な砂丘が隆起する風景を収めた一枚で、見ているこちらにまで砂漠の熱風を感じさせる迫力ある構図だ。
「ほう……見事なものだ。たしか、エドガー君と言ったかな?彼はカメラも嗜むのか」
バナンは愉快そうに目を細め、カウンター脇のマガジンラックに視線を移した。
そこに並んでいるのは、エドガーがモデルとして登場する女性誌の数々だ。
「セッツァーが見込んでいる、俳優の卵……確かに素材は十分らしいのう。演技の方で、もう一つ二つ壁を越えることができれば、すぐにでもデビューできそうなものだが……。それで、彼は今日は不在かな」
「そ、今日はお休み。デートですって、ニクいわよねえ。憧れの人と二人で、この劇を観に行くってはしゃいじゃって」
ダリルは面白そうに笑いながら、バナンの前にグリーンティーの入った湯呑みと、一枚のリーフレットを差し出した。
『劇団モブリズ出張公演!』と書かれた色鮮やかなロゴをバックに、主演らしき少年がポーズを決めている。
「おお、劇団モブリズか。ここからデビューする子役は本当に優秀な子ばかりで、次はどんなスターが生まれるかと楽しみにしておるよ」
「……社長もお付き合いがあったんでしょう。マディンさん達と」
ダリルはカウンター席に腰掛け、右隣のバナンに訊ねた。
バナンはひととき眼を伏せ、残念そうに応える。
「ああ……。それは心優しいご夫婦だった。モブリズは地方の小劇団ではあるが、お二人の人柄や指導方針に惹かれて遠方からでも入門する若手は絶えなかった。あんな事故さえ起こらなければと、悔やんでも悔やみきれん」
言葉が終わるのを待って、ダリルはバナンの前に七年前の記事がスクラップされたファイルを差し出した。
それらの記事を一瞥し、バナンは何かを察したように顎髭に手をやった。
「そうか。それで、先日の電話の件……というわけか」
「そう。ご夫妻が亡くなったその年のうちに、ティナ・Bはベクタに移籍しているの。珍しいケースだし、よっぽど好待遇を受けていたのかと思いきや、そんなことはまるで無かったみたいで——」
ダリルはバナンに、ここまでの成り行きを有り体に説明した。
ティナが初めてファルコンにやって来た時のこと。
同伴のケフカというマネージャーはティナに対して人前であっても罵詈雑言を吐き散らし、とても自社のタレントとして大切に扱っているようには見えなかったこと。
七年前の事故でマディン夫妻を喪い、運営面などで困窮していたモブリズに助け舟を出す形で、ベクタ総業がティナの移籍の話を持ち掛けたこと——
「——助け舟、なんてそんな美談には全く思えないのよ。大体、地方の小劇団をあのベクタが支援するなんてこと自体が違和感しか感じない。奴らにとってのリターンは何?本当の目的って……?」
「目的は、ティナだろうな。トップスターの仲間入りを果たしたティナを自社のタレントに抱き込むことこそが連中の狙い、リターンなのだ。つまり」
バナンは七年前の死亡事故の記事に人差し指を向け、はっきりと断言した。
「モブリズが困窮しているから支援したのではない。最終的にティナを自分たちの会社に移籍させるために、モブリズを困窮させたのだ」
「まさか。それじゃあ」
マディン夫妻の自家用車に衝突した、信号無視の軽ワゴン。
その運転手は、いまだ捕まっていない——
「この事故も、ベクタ総業が……?」
「信じがたいことだがな。しかし、あの会社は目的のためなら手段を選ばん。自社のタレントに大口の仕事を取らせるために、競合のタレントを裏で潰すようなこともやってのける連中だ」
「ライバル会社の所属タレントに暴行を……ああ、ロックも言ってたわ」
「うむ。実は、ティナがベクタに移籍して間もない頃にも、そのような騒動が起こってな」
バナンは懐から革の表紙の手帳を取り出し、中程のページを開きながら言った。
「ドマ企画、という会社は知っているな?」
「ええ、もちろん。時代ものをメインで制作してる会社よね。ここも老舗だったと思うけど……仕切ってるのはカイエンさんだったかしら」
「その通りだ。先代社長から事業を継いで二代目として、カイエン氏が経営している制作会社だな。そのドマ企画が、今から四年前——
——ティナがベクタに移籍して三年目の頃、新作映画のオーディションを開いた。我々リターナープロのタレントも含め、多くの応募が集まったが、実質的にはカイエンの奥方である女優のミナと、時代劇初挑戦の話題性抜群のティナとの一騎討ちの構図だった」
ドマ企画制作の時代劇映画で、主演俳優の相手役という重大な役を務める女優のオーディション。
それは業界関係者からも大いに注目を集め、当時三十三歳のミナと二十三歳のティナのどちらが選ばれるか、ちょっとした盛り上がりを見せていた。
大方の見方では、時代劇常連のベテラン女優であるミナの方に分があると目されていたのだが——
「——オーディション当日になって、ミナの不参加が発表された。理由は体調不良による緊急入院だ」
「当日に!?それじゃあ、オーディションは中止?」
「いや。協議の結果、そのまま続行された。結果、ティナが主演女優の座を勝ち取った」
「体調不良……。ミナさんに持病があったなんて話じゃないわよね?」
バナンは首を横に振り、手にした手帳のページを捲った。
「オーディションの二日前に、関係者を集めての激励会が開かれている。それは小一時間程度の会食で、ティナやミナも含めオーディション出場者たちも出席していた。その会を主催したのが——
——ベクタ総業だ」
「え……?」
ダリルは上体をバナンの方に寄せ、びっしりと細かい字が書き込まれた手帳を覗き込んだ。
「ってことは、その会食の……食事の手配をしたのも、席割りを決めたのも、当然ベクタ側……よね?」
バナンは無言で頷き、手帳の右下を人差し指で指し示した。
「ミナの診断結果は、急性薬物中毒。だが本人には、日常服用している薬はなかった。つまり」
「ベクタ総業が、ミナさんの膳に薬を盛ったっていうの?話題作の大役を確実にティナに取らせるために……!?」
幸い、ミナは命に別状はなく、数日の入院で退院した。だが後遺症は数ヶ月残り、その間は女優業も休養せざるを得なかったという。
妻の身に降り掛かった尋常ならざる事態は、カイエンを烈火の如く怒らせた。
「カイエンは、警察に捜査を依頼した。会食当日の関係者の動向や、ベクタ総業の指示系統など、事こまかに調査するようにと。だが結局、この件が明るみに出ることはなく、捜査は強引に打ち切られた」
「……なぜ?」
訊ねながらも、ダリルにはその答えは大方予想がついていた。
それを裏付けるように、バナンは頷いた。
「警察にも、ベクタ総業の——
——ガストラ社長の息の掛かった人間がいる」
ダリルは身震いした。
今や手付かずのエスプレッソはすっかり冷めてしまい、取り出していた煙草にも火を付ける事すら忘れて灰皿の上に捨て置いたままである。
全てが、まさかの連続であった。
いくら悪名高いベクタ総業でもそこまではするまい、そのような考えは何もかもが甘かったのだ。
捜査の打ち切りを受け、カイエンは新作映画の制作の中止を発表した。
それは結果的にドマ企画の会社としても大打撃であり、事業の縮小を余儀なくされたという。バナンはカイエンに出来る限りのサポートを約束し、同時にベクタ総業を徹底してマークすることにした。
「あれから四年……。業界から引退したお前から、ティナの件で電話があった時は驚いたが……これも何かの縁か」
バナンは手帳を懐に仕舞い、カウンターに置かれたままのスクラップ記事に視線を戻した。
「ダリル。だから儂は、ティナの件も額面通りに捉えてはいかんと思う。ベクタという会社が善意でモブリズを支援するなど、絶対にあり得ない。全てはティナ・Bという人気女優を自社に引き込むために仕組まれたことに違いないと」
七年前の死亡事故を引き起こした軽ワゴンの運転手が、その後逮捕されたという続報はない。
つまり、そういうことなのだろうか。
マディン、マドリーヌ夫妻の事故死さえも、ベクタの仕組んだことなのか。
「……ベクタ総業は、一体何がしたいの?目的は何?こんな……会社ぐるみで犯罪にまで走るなんて、もうこの業界で真っ当に商売するつもりなんかないんじゃないの?」
「うむ。儂もそう思ってな、今は内々に調査を頼んでいるのだ」
「調査?」
ダリルが聞き返すと、バナンがちらりとカフェの入り口に視線を向けた。
「ドマ企画の捜査は打ち切られてしまったが、七年前の件は死亡事故だ。過失であれ故意であれ、容疑者が挙がっていない以上は捜査は続いている」
そのとき、入り口のドアベルがころころと音をたてた。
closedの札が出ているにも関わらずやってきたその男に手を挙げて、バナンはダリルに言った。
「すまんな、ダリル。彼は儂が呼んだのだ、お前にも紹介しておきたくてな」
濃紺のスーツに身を包んだ背の高い男性は迷うことなくカウンター席のダリルの前で気を付けの姿勢を取り、深々と一礼した。
「警察庁刑事課の、レオ・クリストフと申します。どうぞ宜しく」
続
ある蒸し暑い夏の夜に、その事故は起こった。
劇団モブリズの経営者・マディンが運転する自家用車が見通しの良い国道を走行中、交差点で信号無視の軽ワゴンに衝突され大破。
マディンも、助手席に同乗していた妻マドリーヌも即死であった。
軽ワゴンを運転していた男はその場から逃走、現在も捕まっていない。
当時人気絶頂であった女優ティナ・Bの所属する劇団に訪れた突然の悲劇は複数の週刊誌やワイドショーに取り上げられ、世間の同情を呼んだ。
やがてそのニュースが沈静化して間もなく、ティナ・Bの名は再び各メディアのトップ項目を飾ることになる。
『女優ティナ・B、二十歳の決断。劇団モブリズからベクタ総業へ電撃移籍——』
痛ましい事故から半年足らずの移籍は様々な憶測を呼んだものの、どのメディアも深入りを避け、事実を淡々と伝えるのみに留まった。
その後、女優ティナ・Bのドラマや映画、広告への出演数は激減。
彼女の足跡は表舞台から遠去かっていった……
「七年前……七年前、ねえ……ああ、ちょうど私がリターナープロから退職した年だわ。道理で……」
閉店後のカフェ・ファルコンのカウンターに広げたファイルを眺め、ダリルは溜息を吐いた。
ロックから拝借したこのファイルには、七年前の芸能関係者が関わった事件や事故、不祥事を含めた報道記事がスクラップされている。
中でも大きな付箋が付けられた記事を幾度となく読み返し、ダリルは手にしていた煙草を力任せに灰皿に押し付けた。
「どう見てもタイミングが良すぎるじゃないの。だけど、いくらベクタと言ったってそこまでのことは——」
独り言が終わらぬうちに、ダリルの背後でドアベルが鳴った。
closedの札の提げられたガラス扉をゆっくりと開き、その客人はダリルに向かって手を挙げた。
「遅くなってすまんな。少々立て込んでおった」
「お疲れ様、社長。こちらこそごめんなさいね、忙しいのにお呼びたてしちゃって」
社長と呼ばれた初老の客人——
——かつてダリルも勤めていた大手芸能事務所リターナープロの社長・バナンにカウンター席を勧めつつ、ダリルは立ち上がりお茶の支度を始めた。
バナン用にグリーンティと、自分用にエスプレッソを淹れる。
その間バナンは、店の壁を飾るヴィンテージのレコードジャケットや、大きく引き伸ばされた風景写真を眺めていた。
「それ。良い写真でしょう」
バナンが一枚の風景写真に視線を止めたのを見て取り、ダリルが言った。
「ウチのバイト君が家族旅行に行ったときに撮ったんですってよ」
それは、広大な砂漠の写真だ。
鮮やかな青空の下に雄大な砂丘が隆起する風景を収めた一枚で、見ているこちらにまで砂漠の熱風を感じさせる迫力ある構図だ。
「ほう……見事なものだ。たしか、エドガー君と言ったかな?彼はカメラも嗜むのか」
バナンは愉快そうに目を細め、カウンター脇のマガジンラックに視線を移した。
そこに並んでいるのは、エドガーがモデルとして登場する女性誌の数々だ。
「セッツァーが見込んでいる、俳優の卵……確かに素材は十分らしいのう。演技の方で、もう一つ二つ壁を越えることができれば、すぐにでもデビューできそうなものだが……。それで、彼は今日は不在かな」
「そ、今日はお休み。デートですって、ニクいわよねえ。憧れの人と二人で、この劇を観に行くってはしゃいじゃって」
ダリルは面白そうに笑いながら、バナンの前にグリーンティーの入った湯呑みと、一枚のリーフレットを差し出した。
『劇団モブリズ出張公演!』と書かれた色鮮やかなロゴをバックに、主演らしき少年がポーズを決めている。
「おお、劇団モブリズか。ここからデビューする子役は本当に優秀な子ばかりで、次はどんなスターが生まれるかと楽しみにしておるよ」
「……社長もお付き合いがあったんでしょう。マディンさん達と」
ダリルはカウンター席に腰掛け、右隣のバナンに訊ねた。
バナンはひととき眼を伏せ、残念そうに応える。
「ああ……。それは心優しいご夫婦だった。モブリズは地方の小劇団ではあるが、お二人の人柄や指導方針に惹かれて遠方からでも入門する若手は絶えなかった。あんな事故さえ起こらなければと、悔やんでも悔やみきれん」
言葉が終わるのを待って、ダリルはバナンの前に七年前の記事がスクラップされたファイルを差し出した。
それらの記事を一瞥し、バナンは何かを察したように顎髭に手をやった。
「そうか。それで、先日の電話の件……というわけか」
「そう。ご夫妻が亡くなったその年のうちに、ティナ・Bはベクタに移籍しているの。珍しいケースだし、よっぽど好待遇を受けていたのかと思いきや、そんなことはまるで無かったみたいで——」
ダリルはバナンに、ここまでの成り行きを有り体に説明した。
ティナが初めてファルコンにやって来た時のこと。
同伴のケフカというマネージャーはティナに対して人前であっても罵詈雑言を吐き散らし、とても自社のタレントとして大切に扱っているようには見えなかったこと。
七年前の事故でマディン夫妻を喪い、運営面などで困窮していたモブリズに助け舟を出す形で、ベクタ総業がティナの移籍の話を持ち掛けたこと——
「——助け舟、なんてそんな美談には全く思えないのよ。大体、地方の小劇団をあのベクタが支援するなんてこと自体が違和感しか感じない。奴らにとってのリターンは何?本当の目的って……?」
「目的は、ティナだろうな。トップスターの仲間入りを果たしたティナを自社のタレントに抱き込むことこそが連中の狙い、リターンなのだ。つまり」
バナンは七年前の死亡事故の記事に人差し指を向け、はっきりと断言した。
「モブリズが困窮しているから支援したのではない。最終的にティナを自分たちの会社に移籍させるために、モブリズを困窮させたのだ」
「まさか。それじゃあ」
マディン夫妻の自家用車に衝突した、信号無視の軽ワゴン。
その運転手は、いまだ捕まっていない——
「この事故も、ベクタ総業が……?」
「信じがたいことだがな。しかし、あの会社は目的のためなら手段を選ばん。自社のタレントに大口の仕事を取らせるために、競合のタレントを裏で潰すようなこともやってのける連中だ」
「ライバル会社の所属タレントに暴行を……ああ、ロックも言ってたわ」
「うむ。実は、ティナがベクタに移籍して間もない頃にも、そのような騒動が起こってな」
バナンは懐から革の表紙の手帳を取り出し、中程のページを開きながら言った。
「ドマ企画、という会社は知っているな?」
「ええ、もちろん。時代ものをメインで制作してる会社よね。ここも老舗だったと思うけど……仕切ってるのはカイエンさんだったかしら」
「その通りだ。先代社長から事業を継いで二代目として、カイエン氏が経営している制作会社だな。そのドマ企画が、今から四年前——
——ティナがベクタに移籍して三年目の頃、新作映画のオーディションを開いた。我々リターナープロのタレントも含め、多くの応募が集まったが、実質的にはカイエンの奥方である女優のミナと、時代劇初挑戦の話題性抜群のティナとの一騎討ちの構図だった」
ドマ企画制作の時代劇映画で、主演俳優の相手役という重大な役を務める女優のオーディション。
それは業界関係者からも大いに注目を集め、当時三十三歳のミナと二十三歳のティナのどちらが選ばれるか、ちょっとした盛り上がりを見せていた。
大方の見方では、時代劇常連のベテラン女優であるミナの方に分があると目されていたのだが——
「——オーディション当日になって、ミナの不参加が発表された。理由は体調不良による緊急入院だ」
「当日に!?それじゃあ、オーディションは中止?」
「いや。協議の結果、そのまま続行された。結果、ティナが主演女優の座を勝ち取った」
「体調不良……。ミナさんに持病があったなんて話じゃないわよね?」
バナンは首を横に振り、手にした手帳のページを捲った。
「オーディションの二日前に、関係者を集めての激励会が開かれている。それは小一時間程度の会食で、ティナやミナも含めオーディション出場者たちも出席していた。その会を主催したのが——
——ベクタ総業だ」
「え……?」
ダリルは上体をバナンの方に寄せ、びっしりと細かい字が書き込まれた手帳を覗き込んだ。
「ってことは、その会食の……食事の手配をしたのも、席割りを決めたのも、当然ベクタ側……よね?」
バナンは無言で頷き、手帳の右下を人差し指で指し示した。
「ミナの診断結果は、急性薬物中毒。だが本人には、日常服用している薬はなかった。つまり」
「ベクタ総業が、ミナさんの膳に薬を盛ったっていうの?話題作の大役を確実にティナに取らせるために……!?」
幸い、ミナは命に別状はなく、数日の入院で退院した。だが後遺症は数ヶ月残り、その間は女優業も休養せざるを得なかったという。
妻の身に降り掛かった尋常ならざる事態は、カイエンを烈火の如く怒らせた。
「カイエンは、警察に捜査を依頼した。会食当日の関係者の動向や、ベクタ総業の指示系統など、事こまかに調査するようにと。だが結局、この件が明るみに出ることはなく、捜査は強引に打ち切られた」
「……なぜ?」
訊ねながらも、ダリルにはその答えは大方予想がついていた。
それを裏付けるように、バナンは頷いた。
「警察にも、ベクタ総業の——
——ガストラ社長の息の掛かった人間がいる」
ダリルは身震いした。
今や手付かずのエスプレッソはすっかり冷めてしまい、取り出していた煙草にも火を付ける事すら忘れて灰皿の上に捨て置いたままである。
全てが、まさかの連続であった。
いくら悪名高いベクタ総業でもそこまではするまい、そのような考えは何もかもが甘かったのだ。
捜査の打ち切りを受け、カイエンは新作映画の制作の中止を発表した。
それは結果的にドマ企画の会社としても大打撃であり、事業の縮小を余儀なくされたという。バナンはカイエンに出来る限りのサポートを約束し、同時にベクタ総業を徹底してマークすることにした。
「あれから四年……。業界から引退したお前から、ティナの件で電話があった時は驚いたが……これも何かの縁か」
バナンは手帳を懐に仕舞い、カウンターに置かれたままのスクラップ記事に視線を戻した。
「ダリル。だから儂は、ティナの件も額面通りに捉えてはいかんと思う。ベクタという会社が善意でモブリズを支援するなど、絶対にあり得ない。全てはティナ・Bという人気女優を自社に引き込むために仕組まれたことに違いないと」
七年前の死亡事故を引き起こした軽ワゴンの運転手が、その後逮捕されたという続報はない。
つまり、そういうことなのだろうか。
マディン、マドリーヌ夫妻の事故死さえも、ベクタの仕組んだことなのか。
「……ベクタ総業は、一体何がしたいの?目的は何?こんな……会社ぐるみで犯罪にまで走るなんて、もうこの業界で真っ当に商売するつもりなんかないんじゃないの?」
「うむ。儂もそう思ってな、今は内々に調査を頼んでいるのだ」
「調査?」
ダリルが聞き返すと、バナンがちらりとカフェの入り口に視線を向けた。
「ドマ企画の捜査は打ち切られてしまったが、七年前の件は死亡事故だ。過失であれ故意であれ、容疑者が挙がっていない以上は捜査は続いている」
そのとき、入り口のドアベルがころころと音をたてた。
closedの札が出ているにも関わらずやってきたその男に手を挙げて、バナンはダリルに言った。
「すまんな、ダリル。彼は儂が呼んだのだ、お前にも紹介しておきたくてな」
濃紺のスーツに身を包んだ背の高い男性は迷うことなくカウンター席のダリルの前で気を付けの姿勢を取り、深々と一礼した。
「警察庁刑事課の、レオ・クリストフと申します。どうぞ宜しく」
続
FF6、FF12二次創作字書きです。割と良くある話ばかり書いてます( ◜ω◝ )
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