詩と死
公開 2026/04/09 22:12
最終更新
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詩を書く時に、こころがざわついていては書けない、と思う。
ただ闇雲に心の様相を詩にするのには、少し冷静にならなければならない。
さもないと、言葉、というより、文字が一つずつ分解して、ゲシュタルト崩壊が始まる。
文章が散文で、まとまりがなく、言葉に制御が効かなくなる。
一見格好のいいように見えるが、子供の落書きと同じである。
抽象絵画と子供の落書きは、似てはなるものである。
しかし、最も純粋な子供の絵が評価されるべきでもある。
芸術は、みる人が芸術と決めることで芸術になる。
「これは、ピカソへのオマージュだな」「この進行はショパンだな」など、わかる人が作り、わかる人が評価をする。
最も純粋な芸術は、子供の作り出した絵になるはずだが、子供の絵はすぐに模倣を始める。
頭の大きい女の子が棒のような四肢でピースを始める。
それだから、芸術にはなり得ない。
今、ここで言っているのは、それ以前のものだ。
赤や黄色、様々な色で殴り描かれた線。そして何かを表現しようとした形。
それらが芸術といえる。
ただ、みる人は評価をしない。
親は称賛するが、それまでである。
同じような例でいうと、障がい者アートである。障がい者アートは、それ自体、優れた芸術作品であるにも関わらず、知的障害なら、「意図」「思い」「メッセージ」などを探ろうとするので、どうしても評価が低い。
また、障がい者、という言葉が視界に入るだけで、その芸術は「福祉」になってしまう。
なので陽の目をみない。
他に言えば、数の多さである。
今や誰しもが芸術家であり、世界に個展を発表できる者たちで溢れている。
インターネットである。
もちろん、その中でも評価される人物は出てくるが、最初は「目新しさ」であろう。
「他にない」ということが芸術になる。
書き殴るだけのものは芸術にはならない。
しかし、それこそが芸術なのだ。
ただ闇雲に心の様相を詩にするのには、少し冷静にならなければならない。
さもないと、言葉、というより、文字が一つずつ分解して、ゲシュタルト崩壊が始まる。
文章が散文で、まとまりがなく、言葉に制御が効かなくなる。
一見格好のいいように見えるが、子供の落書きと同じである。
抽象絵画と子供の落書きは、似てはなるものである。
しかし、最も純粋な子供の絵が評価されるべきでもある。
芸術は、みる人が芸術と決めることで芸術になる。
「これは、ピカソへのオマージュだな」「この進行はショパンだな」など、わかる人が作り、わかる人が評価をする。
最も純粋な芸術は、子供の作り出した絵になるはずだが、子供の絵はすぐに模倣を始める。
頭の大きい女の子が棒のような四肢でピースを始める。
それだから、芸術にはなり得ない。
今、ここで言っているのは、それ以前のものだ。
赤や黄色、様々な色で殴り描かれた線。そして何かを表現しようとした形。
それらが芸術といえる。
ただ、みる人は評価をしない。
親は称賛するが、それまでである。
同じような例でいうと、障がい者アートである。障がい者アートは、それ自体、優れた芸術作品であるにも関わらず、知的障害なら、「意図」「思い」「メッセージ」などを探ろうとするので、どうしても評価が低い。
また、障がい者、という言葉が視界に入るだけで、その芸術は「福祉」になってしまう。
なので陽の目をみない。
他に言えば、数の多さである。
今や誰しもが芸術家であり、世界に個展を発表できる者たちで溢れている。
インターネットである。
もちろん、その中でも評価される人物は出てくるが、最初は「目新しさ」であろう。
「他にない」ということが芸術になる。
書き殴るだけのものは芸術にはならない。
しかし、それこそが芸術なのだ。
