放サモについて語りたい①
公開 2023/09/02 04:34
最終更新
2023/09/02 04:34
⚠️無駄に長いです!⚠️
数年前、まだ大学生だった頃。夏休みで暇を持て余していた私は新しくソシャゲを始めることにした。アプリのストアを適当に見たがピンと来るものも特にない。その時ふと二回ほどDLを見送ったアプリを思い出した。
一回目は新しく繋がったフォロワーさんが「限定が出ない!」と嘆いているのを見てどんなゲームだろう、と検索をかけた時。この時は絵柄が好みじゃないな、とやめたのだ。二回目はこのゲームのキャラの股間がヤバい!というツイートを見た時。見に行って「ああ、フォロワーさんがやってるやつか。どうしようかな」と少し悩みはしたがまたやめたのである。
だがバイトをしている訳でもない私はあまりにも暇で暇で、「まあ始めてみて合わなければアンインストールすればいいか」と気軽に始めたのだ。後々にドハマりして重課金する羽目になるとは知らずに。
ここでタイトル回収をしよう。そのゲームの名前は東京放課後サモナーズ。通称放サモ。LGBT向けと銘打っているだけあり、主人公の見た目と声は男女合わせて五種類、性自認は男女とどちらでもない、から三種類の中から選ぶことができる。だがどれを選んでもストーリーは大きく変わらることなく、誰でもあまり違和感を覚えず読める、と思う。
ここで少し私の話もしておくと、根っからのオタクで筋金入りの夢女である。こうなった理由として、まず年の離れた兄が独り立ちし、部屋にある漫画が読み放題になったのが良くなかった。同じく年の離れた姉や、学校の友人がオタクなのも良くなかった。そして何よりある程度自由に使えるパソコンがあったのが一番良くなかった。漫画を読みアニメの話に花を咲かせ、ネットで色々と情報を得た。こうして私は何処に出しても恥ずかしい完全体腐女子へと進化したのである。
色々なサイトを漁っていると、あるサイトでふと夢小説という文字を見かけた。その時は分からなかったが年齢制限ではなくジャンル全体の特色としてパスがかかっていることが多かった。国擬人化と言ったら分かる方もいるだろう。まだ知らないジャンルながら夢小説とはどんなのだろうとパスのヒントから色々と調べてパスを解き、読んでみた。こんな世界があったのか! と目から鱗である。
夢小説を読んだり書いたりする内にだんだん腐女子が劣勢になり、最終的に私の主人格から腐女子は消えてしまった。今では二次創作のBLは受け付けない体となってしまった。置き土産に「ああここの二人CP人気出そう」「こっちが左でこっちが右っぽい」などとうっすらとした思考だけが今でも残ってはいる。前は腐女子が最後の姿だと思っていたがそんなことはなく、私はもう一つ進化を残していた。究極体夢女である。夢女と書くと何だか雪女めいた響きを感じる。夢にだけ現れる妖怪っぽい。多分眠りを阻害して命を奪うタイプだ。
話を戻すと、その後様々なジャンルを通ってきた私もスマホを持つようになりある乙女ゲーム系のアプリを始めた。タイトル以上に人数が多い某ゲームだ。誰も彼も細いなとは思いつつもストーリー自体にはそこまで不満はなく、キャラの好き嫌いはあるもののそこそこ楽しんでいた。だが私はFGOやグラブルなどもやっており、ここに出てくるような多少ガタイが良いキャラと恋愛のできるゲームはないものか、と常に考えていた。
そんなこともあって放サモはある意味ぴったりのゲームだった。ゴツい男のオンパレード、ストーリーも良い、となると本格的にやり込むまでは行かずともまあある程度続けてもいいかな、と考えていた。
だいぶ昔のことで、ガチャだったのかストーリーだったのかの記憶も多少朧気になりつつあるが、それでもあの衝撃だけは忘れることはないだろう。
ザバーニーヤ、というキャラに私は所謂一目惚れをしたのだった。
絶対こうじゃなきゃ嫌、という訳ではないが割と垂れ目なキャラが好きで、短髪も好き、体格も申し分なし、とくれば落ちない理由がそもそもなかった。でもそんなのは後付けである。運命を感じた。ああ探していたのは彼だったんだ、と。それが二次元のキャラなのは三次元の人間を愛せない悲しき人間嫌い夢女だとつくづく思うが。こういう時は、ある言葉を思い出す。オタク趣味を自嘲する私に「夢中になれる何かがあるのは良いことだ」と言ってくれた中学の担任。今思えばありふれた言葉ではあるがあの時はとても救われたし、今でもたまに思い返しては少しだけ勇気をもらっている。
すっかりのめり込んだ私は、他にもたくさん素敵なキャラがいることを知った。放サモは正直言って誰も彼も魅力的で、最初はそこまででもなくても知るにつれて好きになっていくスルメ的なキャラが多い。見た目が好き、中身も良いな、も全然ある。
何より、ストーリーが私にとってはとても良いと思った。誰しも否定されるのは嫌だと思うが、わたしは他人より少しだけその意識が強く、恐怖でさえある。放サモは私を否定しないでくれた。それでいいと肯定してくれた。
FGOだと女性キャラが主人公に冗談交じりに泣きつくシーンがあったとして、多分二つの選択肢は片方は肯定する選択肢、もう片方は宥めるか軽くツッコミを入れるか、そういう風になるだろう。で、それが男性キャラだったらどうか。突っぱねるか否定するか流すか、どれかになるだろう。個人的にはそれに少しもやっとしていた。別にここまで冷たくする必要はないのでは、と。これは別にFGOに限った話でもなく私が昔からバラエティーでよくある誰か一人の芸人を延々と寄ってたかってイジリ続けているのが好きではなかったからなのは大いにある。
放サモにはそういうもやもやがあまりない。キャラ同士でそういうイジリもあるし選択肢にそういうのもある。だが個人的に良いなと思ったのは突っぱねるのも流すのもある上で第三の選択肢、受け入れるというのがある点だ。選択肢に幅があるというのが嬉しい。
主人公とプレイヤーの距離というものが関係しているとは思う。前述のFGOやグラブル、某乙女ゲーム系のソシャゲもそうだがこれらの主人公はプレイヤーとイコールではない。プレイヤーは傍観者であり、ストーリー上の選択肢は主人公が思い付く範囲で用意されている、といった感じだ。主人公はこういう性格、というのがかなり決まっていて、私は選択肢によってたまに没入感が殺がれるというか、主人公と乖離を起こす。
放サモの主人公とプレイヤーはどうかと言うと完全にとは言わないがイコールに近いと思う。公式設定資料集の冒頭にはいくつかストーリーのあらすじがあるのだがそこでは「あなた」と書かれている。できるだけプレイヤーと主人公を近づける工夫がなされている。
どちらが良くてどちらが悪い、というのは当然だが無い。何事にもメリットデメリットはある。合うか合わないか、好きかそうでないか、それだけの話だ。
私は漠然とだが放サモに救われた。命を絶とうとしていたとかは決して無いが大勢に混ざれず、然りとてそれを良しと開き直ることもできず、居場所のなさをぼんやりと感じていた。親しい友人も多くはないがいるし、家族とも仲が良い。けれど本心をさらけ出せるかと言えばそうではない。僅かな疎外感、悪い意味で自分は違う、外れている、といった感覚があった。放サモのストーリーを進めていくにつれて、こんな私でも受け入れてくれるんだ、きっとこの世界でなら受け入れてくれるだろう、そう思わせてくれた。今でも誰かと話すと「世間的な"普通"の範囲にいられるのは羨ましいな」と感じる時がある。でもそれでも良いのだと、受け入れてくれる場所があることは有難いことだと思う。
ここまで読んだ、もしくは途中でやめた方の中にはゲームに心の拠り所がある私を気味悪がる方もいるだろう。だが虚構に救われるのは悪いことだろうか。現実の誰かに救われなくたって構わないんじゃなかろうか。別に誰に迷惑をかけてる訳でもなし、誰を傷つけてる訳でもないのだから。
理解できないもの、相容れないものを悪だと断じて迫害することは簡単だ。歴史を辿れば多くの事例が出てくる。理解し合うことは容易くないが「ああそういう考えもあるんだな」と思うだけで一歩だけ歩み寄れるのではないだろうか。
かなり長くなった。読み返すのが怖いくらいの熱で書いてしまった。これはもう読み返さないな。誤字脱字があっても大目に見てほしい。次からはもっと内容の感想とかキャラのここが好きポイントとかを書いていきたいと思う。
数年前、まだ大学生だった頃。夏休みで暇を持て余していた私は新しくソシャゲを始めることにした。アプリのストアを適当に見たがピンと来るものも特にない。その時ふと二回ほどDLを見送ったアプリを思い出した。
一回目は新しく繋がったフォロワーさんが「限定が出ない!」と嘆いているのを見てどんなゲームだろう、と検索をかけた時。この時は絵柄が好みじゃないな、とやめたのだ。二回目はこのゲームのキャラの股間がヤバい!というツイートを見た時。見に行って「ああ、フォロワーさんがやってるやつか。どうしようかな」と少し悩みはしたがまたやめたのである。
だがバイトをしている訳でもない私はあまりにも暇で暇で、「まあ始めてみて合わなければアンインストールすればいいか」と気軽に始めたのだ。後々にドハマりして重課金する羽目になるとは知らずに。
ここでタイトル回収をしよう。そのゲームの名前は東京放課後サモナーズ。通称放サモ。LGBT向けと銘打っているだけあり、主人公の見た目と声は男女合わせて五種類、性自認は男女とどちらでもない、から三種類の中から選ぶことができる。だがどれを選んでもストーリーは大きく変わらることなく、誰でもあまり違和感を覚えず読める、と思う。
ここで少し私の話もしておくと、根っからのオタクで筋金入りの夢女である。こうなった理由として、まず年の離れた兄が独り立ちし、部屋にある漫画が読み放題になったのが良くなかった。同じく年の離れた姉や、学校の友人がオタクなのも良くなかった。そして何よりある程度自由に使えるパソコンがあったのが一番良くなかった。漫画を読みアニメの話に花を咲かせ、ネットで色々と情報を得た。こうして私は何処に出しても恥ずかしい完全体腐女子へと進化したのである。
色々なサイトを漁っていると、あるサイトでふと夢小説という文字を見かけた。その時は分からなかったが年齢制限ではなくジャンル全体の特色としてパスがかかっていることが多かった。国擬人化と言ったら分かる方もいるだろう。まだ知らないジャンルながら夢小説とはどんなのだろうとパスのヒントから色々と調べてパスを解き、読んでみた。こんな世界があったのか! と目から鱗である。
夢小説を読んだり書いたりする内にだんだん腐女子が劣勢になり、最終的に私の主人格から腐女子は消えてしまった。今では二次創作のBLは受け付けない体となってしまった。置き土産に「ああここの二人CP人気出そう」「こっちが左でこっちが右っぽい」などとうっすらとした思考だけが今でも残ってはいる。前は腐女子が最後の姿だと思っていたがそんなことはなく、私はもう一つ進化を残していた。究極体夢女である。夢女と書くと何だか雪女めいた響きを感じる。夢にだけ現れる妖怪っぽい。多分眠りを阻害して命を奪うタイプだ。
話を戻すと、その後様々なジャンルを通ってきた私もスマホを持つようになりある乙女ゲーム系のアプリを始めた。タイトル以上に人数が多い某ゲームだ。誰も彼も細いなとは思いつつもストーリー自体にはそこまで不満はなく、キャラの好き嫌いはあるもののそこそこ楽しんでいた。だが私はFGOやグラブルなどもやっており、ここに出てくるような多少ガタイが良いキャラと恋愛のできるゲームはないものか、と常に考えていた。
そんなこともあって放サモはある意味ぴったりのゲームだった。ゴツい男のオンパレード、ストーリーも良い、となると本格的にやり込むまでは行かずともまあある程度続けてもいいかな、と考えていた。
だいぶ昔のことで、ガチャだったのかストーリーだったのかの記憶も多少朧気になりつつあるが、それでもあの衝撃だけは忘れることはないだろう。
ザバーニーヤ、というキャラに私は所謂一目惚れをしたのだった。
絶対こうじゃなきゃ嫌、という訳ではないが割と垂れ目なキャラが好きで、短髪も好き、体格も申し分なし、とくれば落ちない理由がそもそもなかった。でもそんなのは後付けである。運命を感じた。ああ探していたのは彼だったんだ、と。それが二次元のキャラなのは三次元の人間を愛せない悲しき人間嫌い夢女だとつくづく思うが。こういう時は、ある言葉を思い出す。オタク趣味を自嘲する私に「夢中になれる何かがあるのは良いことだ」と言ってくれた中学の担任。今思えばありふれた言葉ではあるがあの時はとても救われたし、今でもたまに思い返しては少しだけ勇気をもらっている。
すっかりのめり込んだ私は、他にもたくさん素敵なキャラがいることを知った。放サモは正直言って誰も彼も魅力的で、最初はそこまででもなくても知るにつれて好きになっていくスルメ的なキャラが多い。見た目が好き、中身も良いな、も全然ある。
何より、ストーリーが私にとってはとても良いと思った。誰しも否定されるのは嫌だと思うが、わたしは他人より少しだけその意識が強く、恐怖でさえある。放サモは私を否定しないでくれた。それでいいと肯定してくれた。
FGOだと女性キャラが主人公に冗談交じりに泣きつくシーンがあったとして、多分二つの選択肢は片方は肯定する選択肢、もう片方は宥めるか軽くツッコミを入れるか、そういう風になるだろう。で、それが男性キャラだったらどうか。突っぱねるか否定するか流すか、どれかになるだろう。個人的にはそれに少しもやっとしていた。別にここまで冷たくする必要はないのでは、と。これは別にFGOに限った話でもなく私が昔からバラエティーでよくある誰か一人の芸人を延々と寄ってたかってイジリ続けているのが好きではなかったからなのは大いにある。
放サモにはそういうもやもやがあまりない。キャラ同士でそういうイジリもあるし選択肢にそういうのもある。だが個人的に良いなと思ったのは突っぱねるのも流すのもある上で第三の選択肢、受け入れるというのがある点だ。選択肢に幅があるというのが嬉しい。
主人公とプレイヤーの距離というものが関係しているとは思う。前述のFGOやグラブル、某乙女ゲーム系のソシャゲもそうだがこれらの主人公はプレイヤーとイコールではない。プレイヤーは傍観者であり、ストーリー上の選択肢は主人公が思い付く範囲で用意されている、といった感じだ。主人公はこういう性格、というのがかなり決まっていて、私は選択肢によってたまに没入感が殺がれるというか、主人公と乖離を起こす。
放サモの主人公とプレイヤーはどうかと言うと完全にとは言わないがイコールに近いと思う。公式設定資料集の冒頭にはいくつかストーリーのあらすじがあるのだがそこでは「あなた」と書かれている。できるだけプレイヤーと主人公を近づける工夫がなされている。
どちらが良くてどちらが悪い、というのは当然だが無い。何事にもメリットデメリットはある。合うか合わないか、好きかそうでないか、それだけの話だ。
私は漠然とだが放サモに救われた。命を絶とうとしていたとかは決して無いが大勢に混ざれず、然りとてそれを良しと開き直ることもできず、居場所のなさをぼんやりと感じていた。親しい友人も多くはないがいるし、家族とも仲が良い。けれど本心をさらけ出せるかと言えばそうではない。僅かな疎外感、悪い意味で自分は違う、外れている、といった感覚があった。放サモのストーリーを進めていくにつれて、こんな私でも受け入れてくれるんだ、きっとこの世界でなら受け入れてくれるだろう、そう思わせてくれた。今でも誰かと話すと「世間的な"普通"の範囲にいられるのは羨ましいな」と感じる時がある。でもそれでも良いのだと、受け入れてくれる場所があることは有難いことだと思う。
ここまで読んだ、もしくは途中でやめた方の中にはゲームに心の拠り所がある私を気味悪がる方もいるだろう。だが虚構に救われるのは悪いことだろうか。現実の誰かに救われなくたって構わないんじゃなかろうか。別に誰に迷惑をかけてる訳でもなし、誰を傷つけてる訳でもないのだから。
理解できないもの、相容れないものを悪だと断じて迫害することは簡単だ。歴史を辿れば多くの事例が出てくる。理解し合うことは容易くないが「ああそういう考えもあるんだな」と思うだけで一歩だけ歩み寄れるのではないだろうか。
かなり長くなった。読み返すのが怖いくらいの熱で書いてしまった。これはもう読み返さないな。誤字脱字があっても大目に見てほしい。次からはもっと内容の感想とかキャラのここが好きポイントとかを書いていきたいと思う。
