不満を溜め込むことがあまりにも不得手なんですよね
公開 2025/10/03 04:56
最終更新
2025/10/03 04:56
これまでの人生、「至は何にも興味がないよね」と言われることがあった。
私は全てにおいて関心が薄い。
特に人に対してあまり興味を向けない。
人のことをあまり知ろうと思えなかったから、人の話を聴いたところで感動だって薄かった。
それの理由を自分なりに突き詰めたところ、『悪口で盛り上がることを気持ち良いと感じたことがない』ことに起因していると気付いた。
私は、『「興味や関心を向けるから無闇に情報が集まって、結果的に悪口を言うことに繋がるんだろうな」という考えがあって、人に意識を向けるのを意図的に避けてきた』という価値観を持っていたようだった。
とはいえ私は割りとばんばん悪口を言うほうだ。
不平不満に繋がるような行いを受けたのならそれはもう平気で悪口が飛び出る。
出るというか出す。
自分の不満やらの気持ちが誰かに伝わる形を取ることを良いことだとは思わないんだけど、嫌な気持ちが発生する状況を強いられたから起きた反射なのに、何で黙っててやらなきゃなんねーんだよ。
悪口言われたくないなら悪口を言われるようなことなんかハナからすんなよなって思っているし。
それから、「愚痴は言わないとストレスが溜まるじゃん」って言い分には一理あるよなーと私は思っていて。
昔はこれも、「良くないことだよね」って思っていたから不公平でも無かったこととして済ませるようにしてきたんだけど、さっきも言ったけど、「相手が悪口を発生させることをしたのが如何なものなの?なのに、何で私だけが全てを丸く綺麗に収めてやらなきゃいけないんだ?」って話なんだよな。
それを自分の美学としていた頃の私にはそれが最適解だったけど、今はそれはただの自己犠牲にしか感じられない。
“ちょっと発散すればそれで済んだかもしれないことだった”が、晴らさないことで根に持ち、いつかの未来に恨みに転じることだってあるんだよ。
それがやり方として正しいとも思っていないけど、「悪口を言うことが自分を呪わず他人に不満を抱え続けずに済んだ方法の1個になったかもしれないんだ」ってことが最近とくに身に沁みたから、私は「そこまで善人でいようと務める必要はないよなぁ」と思ったのもひとつですかね。
だから悪口自体を今そんなにタブーとはしていないかな。個人意見としては。
とはいえ悪口自体はあんまり好きではない。
悪口で盛り上がることもそんなに好きじゃない。
これが言いたかったことの本題というか、タイトルに繋がることなのですが、“私は悪口で盛り上がる行いに不快を感じるから外への興味関心が薄かった”ってやつ。
これ、やっと言葉で説明できる程度に纏まったんで書きますが。
1つは『何でも話題提供として扱われること』。
これは悪口には限らんが……。
他言無用のつもりはないんですよ。
結局自己責任の範疇だと思っているし、人に話した以上はそりゃ広まるもんだよねと思っているし。
だからといって気分は良くないよ。
私は何でもペラペラ話されたくて、お前が誰かと盛り上がるため、会話の話題のネタを振るために話していないことくらいわざわざ言わないと分かんねぇか?って思うことが多いんですよ。
誰かとの会話の題材くらいテメェが頭捻れやボケが。
その脳ミソは何の為にあるんだよ。
あまりにそういうことが続くことはハッキリ言ってしまうと安心からは遠くなる。
そうなればその人との関係の継続を悩んでしまうことになるから嫌なの。
それで距離おかれてキレるような奴ならそもそも合わないんだなとしか。
だって私は好きじゃないんだもん。
信用できないって感じているのになんで我慢してまで仲良くしないとならないの?
2つめは、『悪口を楽しむことを日常での当たり前にしてしまうと、気にもならなかったことでさえ嫌なものに換える脳の習性を生み出すこと』。
これは前から文章化するの難しかったことなんですけど、『悪口を言っていると悪口を言うようになる』んですよ。
何言ってんですか?って言われそうだな……
簡単に言えば“粗探し”、つまりは『悪口を言うためのネタを自分自身に提供するようになる』ってことなんですけど。
悪口を言うことを習慣にしてしまうと、悪口のための題材を探すのに対象を見下して馬鹿にするようになるんですよ。
それまでは目に付きもしなかった気に食わないが出て来る、許せないを作り出す。
不満を感じようと努力するようになるんですよ。
インプットしたものを話せる場があるのならアウトプットだって出来て発散が成立してしまう。
『悪口を言う』が楽しいことだと勘違いしてしまうようになるんだよ。
それを繰り返して習慣になってしまう。
私は不満を感じている状態がこの世で最も嫌いなことなのに、こんなんわざわざ好き好んで不満を溜め込みに行くようなものなのよ。
だから意気揚々と悪口を言う割には悪口で盛り上がることがすごく嫌いだったらしい。
正確には『言わされることが』だけど。嫌いなのは。
因みにこれ、私には精神状態の治安を悪化させていた行いのひとつだったから、私に強いて来る人は問答無用で関係を見直さないとなと思っている。
それが性質として合っているのなら私は止めてよとは言わないんだよ。
そっちはそれで病むかもしんないじゃん。
私は振られた話題には乗らんだろうが。
私に合わせる必要なんかない。
だけど私には不満が溜まる。
その性質があまりにも私には合わないから。
関わるだけで駄目になる。
毒抜き作業が必要不可欠になる。
それならもう一緒にはいられないよなっていうだけなんだね。
無関心貫けていた頃ならそんな気持ちも有耶無耶にできていたんだけどなぁ。
私は全てにおいて関心が薄い。
特に人に対してあまり興味を向けない。
人のことをあまり知ろうと思えなかったから、人の話を聴いたところで感動だって薄かった。
それの理由を自分なりに突き詰めたところ、『悪口で盛り上がることを気持ち良いと感じたことがない』ことに起因していると気付いた。
私は、『「興味や関心を向けるから無闇に情報が集まって、結果的に悪口を言うことに繋がるんだろうな」という考えがあって、人に意識を向けるのを意図的に避けてきた』という価値観を持っていたようだった。
とはいえ私は割りとばんばん悪口を言うほうだ。
不平不満に繋がるような行いを受けたのならそれはもう平気で悪口が飛び出る。
出るというか出す。
自分の不満やらの気持ちが誰かに伝わる形を取ることを良いことだとは思わないんだけど、嫌な気持ちが発生する状況を強いられたから起きた反射なのに、何で黙っててやらなきゃなんねーんだよ。
悪口言われたくないなら悪口を言われるようなことなんかハナからすんなよなって思っているし。
それから、「愚痴は言わないとストレスが溜まるじゃん」って言い分には一理あるよなーと私は思っていて。
昔はこれも、「良くないことだよね」って思っていたから不公平でも無かったこととして済ませるようにしてきたんだけど、さっきも言ったけど、「相手が悪口を発生させることをしたのが如何なものなの?なのに、何で私だけが全てを丸く綺麗に収めてやらなきゃいけないんだ?」って話なんだよな。
それを自分の美学としていた頃の私にはそれが最適解だったけど、今はそれはただの自己犠牲にしか感じられない。
“ちょっと発散すればそれで済んだかもしれないことだった”が、晴らさないことで根に持ち、いつかの未来に恨みに転じることだってあるんだよ。
それがやり方として正しいとも思っていないけど、「悪口を言うことが自分を呪わず他人に不満を抱え続けずに済んだ方法の1個になったかもしれないんだ」ってことが最近とくに身に沁みたから、私は「そこまで善人でいようと務める必要はないよなぁ」と思ったのもひとつですかね。
だから悪口自体を今そんなにタブーとはしていないかな。個人意見としては。
とはいえ悪口自体はあんまり好きではない。
悪口で盛り上がることもそんなに好きじゃない。
これが言いたかったことの本題というか、タイトルに繋がることなのですが、“私は悪口で盛り上がる行いに不快を感じるから外への興味関心が薄かった”ってやつ。
これ、やっと言葉で説明できる程度に纏まったんで書きますが。
1つは『何でも話題提供として扱われること』。
これは悪口には限らんが……。
他言無用のつもりはないんですよ。
結局自己責任の範疇だと思っているし、人に話した以上はそりゃ広まるもんだよねと思っているし。
だからといって気分は良くないよ。
私は何でもペラペラ話されたくて、お前が誰かと盛り上がるため、会話の話題のネタを振るために話していないことくらいわざわざ言わないと分かんねぇか?って思うことが多いんですよ。
誰かとの会話の題材くらいテメェが頭捻れやボケが。
その脳ミソは何の為にあるんだよ。
あまりにそういうことが続くことはハッキリ言ってしまうと安心からは遠くなる。
そうなればその人との関係の継続を悩んでしまうことになるから嫌なの。
それで距離おかれてキレるような奴ならそもそも合わないんだなとしか。
だって私は好きじゃないんだもん。
信用できないって感じているのになんで我慢してまで仲良くしないとならないの?
2つめは、『悪口を楽しむことを日常での当たり前にしてしまうと、気にもならなかったことでさえ嫌なものに換える脳の習性を生み出すこと』。
これは前から文章化するの難しかったことなんですけど、『悪口を言っていると悪口を言うようになる』んですよ。
何言ってんですか?って言われそうだな……
簡単に言えば“粗探し”、つまりは『悪口を言うためのネタを自分自身に提供するようになる』ってことなんですけど。
悪口を言うことを習慣にしてしまうと、悪口のための題材を探すのに対象を見下して馬鹿にするようになるんですよ。
それまでは目に付きもしなかった気に食わないが出て来る、許せないを作り出す。
不満を感じようと努力するようになるんですよ。
インプットしたものを話せる場があるのならアウトプットだって出来て発散が成立してしまう。
『悪口を言う』が楽しいことだと勘違いしてしまうようになるんだよ。
それを繰り返して習慣になってしまう。
私は不満を感じている状態がこの世で最も嫌いなことなのに、こんなんわざわざ好き好んで不満を溜め込みに行くようなものなのよ。
だから意気揚々と悪口を言う割には悪口で盛り上がることがすごく嫌いだったらしい。
正確には『言わされることが』だけど。嫌いなのは。
因みにこれ、私には精神状態の治安を悪化させていた行いのひとつだったから、私に強いて来る人は問答無用で関係を見直さないとなと思っている。
それが性質として合っているのなら私は止めてよとは言わないんだよ。
そっちはそれで病むかもしんないじゃん。
私は振られた話題には乗らんだろうが。
私に合わせる必要なんかない。
だけど私には不満が溜まる。
その性質があまりにも私には合わないから。
関わるだけで駄目になる。
毒抜き作業が必要不可欠になる。
それならもう一緒にはいられないよなっていうだけなんだね。
無関心貫けていた頃ならそんな気持ちも有耶無耶にできていたんだけどなぁ。
