境界線を引くために
公開 2025/09/09 08:18
最終更新
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私が他者に境界線を引く為、他者から私に境界線を引いてもらう為に、『自分以外の人間は誰しもが他人である』ということについて改めて一から考えてみることにしました。
私が苛々しているときというのは、私なりに言い分があったことなのですが。
「相手が私に失礼なんだよな〜💢」とか。
「私はお前の友達や家族じゃねーんだよ💢」とか。
「親しき仲にも礼儀ありを重んじてほしい」っていうかね。
簡単にいえば距離感。
「長く一緒にいるからって距離感を勘違いすんなよ」って思わされることを平気でされる。
「他人のくせに無礼過ぎねぇか?」って態度を臆せず取られる。
コミュニケーションとは=信頼関係だと思っているので、基本的には何をやられたとてお互い様だと思っているんだけど、受ける側が譲歩する状態がデフォルトみたいに自分の欲求を最大優先でやりたいことやってくるお前が、優遇されて当たり前みたいに勘違いしてんなよとは思うよ。
こっちにだって感情や都合があるんだよ。
そんなことも考えられないのか?
そんなんされたらさ、「マジでいい加減にしろやオメェ」の感情が出てきてしまうのは当たり前だと思うんだよね。
「そっちがストレスを与えてきたんだからやり返されるのは当然じゃないの?」を正当性の気持ちだと思っていたし。
ここで言うところのやり返すっていうのは、打ったらこう響いたよみたいな意味合いで言っていることが伝わったら良いのですが。
だから私は不機嫌になっていたし、それで発生したイラッとした感情を抑えていたとは思えなかったから、私の反応は相手にもしっかり伝わっていたと思う。
“相手にイラッとさせられた”から“私はイラッとした”。ただそれだけ。
「そっちが嫌なことをするんだもん仕方ないじゃん」、「明らか苛つかれるのが嫌なんだったら少しは考えて行動するべきだろ」と思ったし、
『不機嫌を外に出すは自分で自分の機嫌を取れていないこと』『自分の機嫌くらい自分で取れ』と言われている世論には、こういうことがあると納得が行っていなかった。
だって、「だったらお前もお前で自分の機嫌くらい取れろよ」って思わんか?
「そういう行いを平気でしているそれは、こっちに“お前の機嫌を取らせている”のと何が違うねん」って思うもん。
だから世論には時折めちゃくちゃ納得が行かねぇよ。
そういう言い分が常にあるんですよ。
でもそれを、自分で気持ち良いことだとは全然思っていなかった。
正しいともできなかったし。
だってどんな理由だったって、態度が悪いのは嫌な奴だよなって自分のことを思うもんなー。
「嫌なことをやられたから」とは言っても、その不機嫌の剥き出しは、復讐心的なやり返したい気持ちでやったんじゃなくて感情による反射や連鎖反応みたいなものだし。
それに私、他人の苛々や機嫌に常に振り回されてきた身の上なんでね。
だから自分のこの言い分を肯定する気持ちあれ、考え方としてはあんまり好きではなかったですよ。
だって私がされたら普通に傷付くもん。
で、ここからがタイトル回収なんですけど、最近改めてちょっと考えることがあって。
『他者に他人扱いを求めるは、それを求める私こそが他者を他人扱いするべきなのでは?』という価値観。
えーとね、『反射のイラッ』、あれは「自分も相手に対して距離が近いからこそ起きている反応なのではないか?」って最近感じるようになってきたんですよね。
「気持ちを分かってもらおうとするから出てくるのかな?」って。
「相手から自分に対してのみならず、自分も相手に甘えの感情を出しているから、だからされたことにいちいち不機嫌になるんだろうな」って。
結構前に、「自分のことを人に分かってもらおうとしなくて良い」って言葉を聞いたか見たかしたことがあって、それが響いていたから記憶に残っていたんですけど、
自身のイライラに振り回されている自分に直面して、それをどうにかできないかを考えたときにそういう答えが自分の中に出て、「ああ」って思って。
そこからちょっと人様との関わりの負荷が軽くなったような気はしますね。
自身の苛々に振り回されることがちょこちょこと減ってきたなぁというか。
今まで問答無用に毛嫌いしていた人達にでも、寛容な気持ちを抱くようになりましたね。
だからって菩薩のように苛つきが起こらなくなったとは言わないが。
苛付くことに直面したらフツーにイラッとしてるから。
しゃーねぇよ、だってムカつくもんはムカつくもん。
私が神様に鍛え上げられてきたのは主に精神面なんですけど、ある種の仕上げ段階に入ってきたのかもしれないなぁ。
私が苛々しているときというのは、私なりに言い分があったことなのですが。
「相手が私に失礼なんだよな〜💢」とか。
「私はお前の友達や家族じゃねーんだよ💢」とか。
「親しき仲にも礼儀ありを重んじてほしい」っていうかね。
簡単にいえば距離感。
「長く一緒にいるからって距離感を勘違いすんなよ」って思わされることを平気でされる。
「他人のくせに無礼過ぎねぇか?」って態度を臆せず取られる。
コミュニケーションとは=信頼関係だと思っているので、基本的には何をやられたとてお互い様だと思っているんだけど、受ける側が譲歩する状態がデフォルトみたいに自分の欲求を最大優先でやりたいことやってくるお前が、優遇されて当たり前みたいに勘違いしてんなよとは思うよ。
こっちにだって感情や都合があるんだよ。
そんなことも考えられないのか?
そんなんされたらさ、「マジでいい加減にしろやオメェ」の感情が出てきてしまうのは当たり前だと思うんだよね。
「そっちがストレスを与えてきたんだからやり返されるのは当然じゃないの?」を正当性の気持ちだと思っていたし。
ここで言うところのやり返すっていうのは、打ったらこう響いたよみたいな意味合いで言っていることが伝わったら良いのですが。
だから私は不機嫌になっていたし、それで発生したイラッとした感情を抑えていたとは思えなかったから、私の反応は相手にもしっかり伝わっていたと思う。
“相手にイラッとさせられた”から“私はイラッとした”。ただそれだけ。
「そっちが嫌なことをするんだもん仕方ないじゃん」、「明らか苛つかれるのが嫌なんだったら少しは考えて行動するべきだろ」と思ったし、
『不機嫌を外に出すは自分で自分の機嫌を取れていないこと』『自分の機嫌くらい自分で取れ』と言われている世論には、こういうことがあると納得が行っていなかった。
だって、「だったらお前もお前で自分の機嫌くらい取れろよ」って思わんか?
「そういう行いを平気でしているそれは、こっちに“お前の機嫌を取らせている”のと何が違うねん」って思うもん。
だから世論には時折めちゃくちゃ納得が行かねぇよ。
そういう言い分が常にあるんですよ。
でもそれを、自分で気持ち良いことだとは全然思っていなかった。
正しいともできなかったし。
だってどんな理由だったって、態度が悪いのは嫌な奴だよなって自分のことを思うもんなー。
「嫌なことをやられたから」とは言っても、その不機嫌の剥き出しは、復讐心的なやり返したい気持ちでやったんじゃなくて感情による反射や連鎖反応みたいなものだし。
それに私、他人の苛々や機嫌に常に振り回されてきた身の上なんでね。
だから自分のこの言い分を肯定する気持ちあれ、考え方としてはあんまり好きではなかったですよ。
だって私がされたら普通に傷付くもん。
で、ここからがタイトル回収なんですけど、最近改めてちょっと考えることがあって。
『他者に他人扱いを求めるは、それを求める私こそが他者を他人扱いするべきなのでは?』という価値観。
えーとね、『反射のイラッ』、あれは「自分も相手に対して距離が近いからこそ起きている反応なのではないか?」って最近感じるようになってきたんですよね。
「気持ちを分かってもらおうとするから出てくるのかな?」って。
「相手から自分に対してのみならず、自分も相手に甘えの感情を出しているから、だからされたことにいちいち不機嫌になるんだろうな」って。
結構前に、「自分のことを人に分かってもらおうとしなくて良い」って言葉を聞いたか見たかしたことがあって、それが響いていたから記憶に残っていたんですけど、
自身のイライラに振り回されている自分に直面して、それをどうにかできないかを考えたときにそういう答えが自分の中に出て、「ああ」って思って。
そこからちょっと人様との関わりの負荷が軽くなったような気はしますね。
自身の苛々に振り回されることがちょこちょこと減ってきたなぁというか。
今まで問答無用に毛嫌いしていた人達にでも、寛容な気持ちを抱くようになりましたね。
だからって菩薩のように苛つきが起こらなくなったとは言わないが。
苛付くことに直面したらフツーにイラッとしてるから。
しゃーねぇよ、だってムカつくもんはムカつくもん。
私が神様に鍛え上げられてきたのは主に精神面なんですけど、ある種の仕上げ段階に入ってきたのかもしれないなぁ。
