自作小説。孤独のオタクは動かないNo.15【何も残らない人はやり方が間違っているだけ】
公開 2024/09/24 01:40
最終更新
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「ゲームって無意味ですよね?」という質問はよく聞くだろう。ゲームは娯楽であって、人生には必要ない。人生に残すものもないし、無くても問題がない。などのことからゲーム=無意味と思う人は少なくない。
しかし、話をややこしくするが、「趣味自体が無意味」なのだ。例えばスポーツ。それを趣味にしている場合、試合をすることもあるし、練習もするだろう。しかし、辞めてしまった場合、何が残ると思う?
実は何も残らないのだ。いくら大会に出たところで、その程度のものなのだ。プロにならなければお金にならない。趣味程度のスポーツでは辞めた時、何も残らない。強いて言えば、「お金を使い込んだ実績」だけが残ってしまう。
スポーツ以外にも、趣味というのは結局生きる上で必要のないことなのだ。スポーツ、ゲーム、勉強、音楽、絵画、映画・・・。全部生きる上で必要がない。それが無くても、生きていけるのが事実だ。腹を満たせれば味なんていらない。それが生きる上での事実だ。
そのうえで言わせてもらう。「趣味は無意味なものであると同時に、趣味は意味のあるものである」と。
確かに趣味は意味のないことだ。しかし、実際に趣味をしているとき、楽しいと思わなかったか?幸福感を得られなかったか?頑張った実績はないか?そう、それは意味のあることなのだ。
それはゲームだって同様だ。ゲームをしているとき、楽しい気持ちになるし、幸福感を得られる。レベル上げに費やした時間はそれを携えてくるし、単純作業の連続は定型の業務に活かすことができる。高難易度コンテンツをクリアした実績は、自身の人生で自信をくれる。
ゲーマーなのでたとえはゲームの話になるが、ゲームを辞めた時「何も残らなかった」というのは、それは単純に遊び方を間違えていただけだ。ゲームは腐っても娯楽。娯楽を人生にしてはいけない。娯楽を人生にしていいのはそれを作っているクリエイターだけだ。
ゲームは幸福感を得るための手段であり目的ではない。しかし、所謂ネトゲ廃人は手段と目的が逆になることが多い。その理由は様々だが、ネトゲ廃人を辞めた時に「ゲームは無意味だった」と思うらしい。僕から言わせてもらえば、手段と目的を逆にしているだけなのだ。
他の趣味に関してもそうなのかもしれない。趣味は手段なのだ。楽しいという幸福感のための手段なのだ。目的にしてしまうと、手段を忘れてしまうのだろう。
何も残らないという人は、単純に手段と目的を逆にしているだけだと、やり方が間違っているだけだと僕は思う。
しかし、話をややこしくするが、「趣味自体が無意味」なのだ。例えばスポーツ。それを趣味にしている場合、試合をすることもあるし、練習もするだろう。しかし、辞めてしまった場合、何が残ると思う?
実は何も残らないのだ。いくら大会に出たところで、その程度のものなのだ。プロにならなければお金にならない。趣味程度のスポーツでは辞めた時、何も残らない。強いて言えば、「お金を使い込んだ実績」だけが残ってしまう。
スポーツ以外にも、趣味というのは結局生きる上で必要のないことなのだ。スポーツ、ゲーム、勉強、音楽、絵画、映画・・・。全部生きる上で必要がない。それが無くても、生きていけるのが事実だ。腹を満たせれば味なんていらない。それが生きる上での事実だ。
そのうえで言わせてもらう。「趣味は無意味なものであると同時に、趣味は意味のあるものである」と。
確かに趣味は意味のないことだ。しかし、実際に趣味をしているとき、楽しいと思わなかったか?幸福感を得られなかったか?頑張った実績はないか?そう、それは意味のあることなのだ。
それはゲームだって同様だ。ゲームをしているとき、楽しい気持ちになるし、幸福感を得られる。レベル上げに費やした時間はそれを携えてくるし、単純作業の連続は定型の業務に活かすことができる。高難易度コンテンツをクリアした実績は、自身の人生で自信をくれる。
ゲーマーなのでたとえはゲームの話になるが、ゲームを辞めた時「何も残らなかった」というのは、それは単純に遊び方を間違えていただけだ。ゲームは腐っても娯楽。娯楽を人生にしてはいけない。娯楽を人生にしていいのはそれを作っているクリエイターだけだ。
ゲームは幸福感を得るための手段であり目的ではない。しかし、所謂ネトゲ廃人は手段と目的が逆になることが多い。その理由は様々だが、ネトゲ廃人を辞めた時に「ゲームは無意味だった」と思うらしい。僕から言わせてもらえば、手段と目的を逆にしているだけなのだ。
他の趣味に関してもそうなのかもしれない。趣味は手段なのだ。楽しいという幸福感のための手段なのだ。目的にしてしまうと、手段を忘れてしまうのだろう。
何も残らないという人は、単純に手段と目的を逆にしているだけだと、やり方が間違っているだけだと僕は思う。
すべての始まり、正米は3DCGのRPGツクールという20年以上前のゲームから生まれた。突っ込んだ話、現在の中の人。「一生ゲームをするという覚悟」のもと、「ゲームに命をかけている」ゲーマー。「ゲームに殉せず、ゲームとともにある」。
数多くのキャラクターを生み出している神霊で、このブログはゆのニートカンパ…
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