ライフログとしてのツイッター
公開 2026/04/18 05:23
最終更新
2026/04/18 05:44
私は10年弱ツイッターをやっていたが、エックスになってほとんど触らなくなった。
この「ほとんど」とは何か。
嫌ならまったく触らなければいいではないか。
私がいまもたま〜にエックスを見るのは「過去の自分の投稿」を参照したいときだ。
いやどれだけ自分のこと好きなんだよと思うかも知れないが、私の生においてすべての主体は自分である以上、私は自分のことを考え続けずにはいられない。
私はいわゆる「ツイッター廃人」で、毎日ツイッターに貼り付いていた。
過去に旅した場所、読んだ本やマンガ、遊んだゲームの感想など、アカウント内で検索すればかつての自分が書いた短文や撮った写真、描いた絵がでてくる。
場合によってはもうこの世にいない人や縁が切れた人に向けたリプライも出てくる。
その時々のわたしの生の記録、ライフログとして機能しているのだ。
運営側が現在のエックスを「PvP」、すなわち対戦ゲームのようなものに例えたことがあった。
あえて対立する意見で論争を煽り、ひとつの事柄を議論のコンテンツとして消費するスタイルと考えられる。多くの人の目に触れさせることを第一に考えるなら、これはたいへん効率が良い。
課金するユーザーだけではなく、タイムラインに流れてきた「お題」をリポストして拡散し、議論に参加するユーザーもまたエックスを盛り上げる有用な資源なのだ。
そのような運営の目線で考えると、過去の自分の投稿を見に行くだけの私など優良なユーザーとは言えないだろう。
排除まではされないが「客じゃない人」として無視するべき存在だ。
運営の意図してない使い方をするユーザーとしてちょっと申し訳ない気持ちはあるが、私はツイッターをやっていた過去の私と対話するために、いまもときどきエックスを見ることがある。
この「ほとんど」とは何か。
嫌ならまったく触らなければいいではないか。
私がいまもたま〜にエックスを見るのは「過去の自分の投稿」を参照したいときだ。
いやどれだけ自分のこと好きなんだよと思うかも知れないが、私の生においてすべての主体は自分である以上、私は自分のことを考え続けずにはいられない。
私はいわゆる「ツイッター廃人」で、毎日ツイッターに貼り付いていた。
過去に旅した場所、読んだ本やマンガ、遊んだゲームの感想など、アカウント内で検索すればかつての自分が書いた短文や撮った写真、描いた絵がでてくる。
場合によってはもうこの世にいない人や縁が切れた人に向けたリプライも出てくる。
その時々のわたしの生の記録、ライフログとして機能しているのだ。
運営側が現在のエックスを「PvP」、すなわち対戦ゲームのようなものに例えたことがあった。
あえて対立する意見で論争を煽り、ひとつの事柄を議論のコンテンツとして消費するスタイルと考えられる。多くの人の目に触れさせることを第一に考えるなら、これはたいへん効率が良い。
課金するユーザーだけではなく、タイムラインに流れてきた「お題」をリポストして拡散し、議論に参加するユーザーもまたエックスを盛り上げる有用な資源なのだ。
そのような運営の目線で考えると、過去の自分の投稿を見に行くだけの私など優良なユーザーとは言えないだろう。
排除まではされないが「客じゃない人」として無視するべき存在だ。
運営の意図してない使い方をするユーザーとしてちょっと申し訳ない気持ちはあるが、私はツイッターをやっていた過去の私と対話するために、いまもときどきエックスを見ることがある。
