古書者蒙昧録 其の三十一 フランケンシュタイン(3)
公開 2023/09/20 00:03
最終更新 -


 レマン湖畔の運命の一夜がなければ『フランケンシュタイン』は執筆されなかったことを、芸術家たちの交錯が発する稲妻が『フランケンシュタイン』を創造したことをメアリー・シェリーは自覚していた。湧きあがるイマジネーションは、別の誰かのイマジネーションを源泉としている。人間が新たな造物主となる、前例のない主題を発見したにもかかわらず、メアリーは創造のオリジナリティを主張することにはとても控えめだった。
《サンチョ・パンサの言葉を借りれば、何事にも初めというものがなければならず、その初めは前からある何かと繋がっていなければならない。ヒンズー教徒は世界を一頭の象に支えさせているが、その象は一匹の亀の上に立っている。創作とは無からではなく混沌からの創造であることを謙虚に認めなくてはならない》とメアリーは書いている。
 創元推理文庫版『フランケンシュタイン』の扉見開きには、角川文庫版が収録しなかったエピグラフが訳出されている。メアリー・シェリーが引用したのは『失楽園』の一節だった。

《土くれからわたしを、創り主よ、人の姿に創ってくれと
わたしがあなたに求めたろうか? 暗黒より
起こしてくれと、あなたにお願いしただろうか?――
 『失楽園』第十巻七四三-五行》

 即ちメアリーは『フランケンシュタイン』の主題が『失楽園』と繋がっていることを明かしている。主題は繰り返される。我々はどこから来て、どこへ行くのか?

 自分はなぜ生まれてきたのだろうか? 人は景気の良い時にはなかなかこういう疑問は持たない。生きてゆくことの困難が人に内省を促す。そして困難がきつすぎるとヨブのように、この世に生を受けたこと自体を憎む。
《何とて我は胎より死て出ざりしや、何とて胎より出し時に氣息たえざりしや》
 ゆるやかな言い方をすれば、「ぼくなんか生まれてこなかったほうがよかったんだ…」という事である。ヨブは生まれた「日」も激しく呪った。

《我が生れし日亡びうせよ、男子胎にやどれりと言ひし夜も亦然あれ、その日は暗くなれ、神上よりこれを顧たまわざれ、光これを照す勿れ、黒暗および死陰これを取りもどせ、雲これが上をおほへ、日を暗くする者これを懼れしめよ、その夜は黒暗の執ふる所となれ、年の日の中に加はらざれ、月の數に入ざれ、その夜は孕むこと有ざれ》

「ワシが生まれた日は暦から抜いちまえ」の剣幕だ。
 角川文庫版の『フランケンシュタイン』を読んでいて、俺は次のような言葉でヨブの事を思い出した。
《お前が初めて光を見たあの日は呪われてあれ! お前をこしらえた手は呪われてあれ!》
 フランケンシュタイン博士が怪物に向かって激しく罵ったのである。はて、怪物が自分の誕生を呪うのは判るが、怪物の生みの親である博士がこれを言うのは筋違いでは?
 生んでくれなんて頼んだおぼえはねーぜ、と悪たれるガキよりも、どうしてあんたみたいな子供を生んでしまったんだろうねえ、と親がため息つくほうが罪深い、と俺は思う。言われたほうはたまったもんじゃない。切り返す台詞はこれしかない、「生んでくれなんて頼んだおぼえはねーぜ」だ。
 だが俺は怪物を擁護する気にはまったくなれない。怪物はフランケンシュタインに、自分の伴侶を創ってくれ、と要求するが、博士がそれを拒絶するとブチ切れて、博士の身内を次々に殺害するのである。良き伴侶にめぐり会えずに独身生活を続ける現代の男女や、人と関わることが上手く出来ずに孤独の中で悩む普通の人々を思うと、俺はどうしても怪物に共感出来ない。「都合の良いこと言ってんじゃねえよ」と思う。
 博士は人でなしだが、怪物も間違いなく怪物だ。もっとも昨今は怪物のような了見の人間が増えている。嫁に逃げられた、畜生、通りがかりの子供でも殺しちゃえ、な大人とか、むしゃくしゃする、畜生、通りがかりの幼児でも殺しちゃえ、な子供とか。
 神もぼやいているだろう、「お前をこしらえた手は呪われてあれ!」。造った側も造られた側もサイテーだ。

 それから俺は考えた。フランケンシュタイン博士と怪物の関係は、造物主(神)と人の関係に置き換えることが出来る。作家と作品の関係に見立てることも出来る。メアリーは自著をどう思っていたのだろう。
《お前が初めて光を見たあの日は呪われてあれ! お前をこしらえた手は呪われてあれ!》、それは誰の台詞なんだ?
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