古書者蒙昧録 其の二十九 フランケンシュタイン(1)
公開 2023/09/19 22:35
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『フランケンシュタイン』の原著初版の出版は一八一八年である。一八三一年に改版が刊行され、それからちょうど百年が経った一九三一年にユニバーサル社によって映画化された。この映画が原作とは異なるストーリーを世の中に広め、この映画が「フランケンシュタイン」のイメージを決定した。その功罪は甚だ大である。
フランケンシュタインは人造人間ではない。科学者である。ところが多くの人が、首に金属ボルトを打ち込まれた縫合手術跡だらけの大男を「フランケンシュタイン」だと思っている。あの怪人は「フランケンシュタインの(造った)怪物」なのである。こうした誤解を払拭するのは、もはや不可能に近いような気がする。自分にしてもフランケンシュタインという名辞から即座に思い浮かべるのは、怪物の不気味な容貌である。ところが『フランケンシュタイン』の映画を実際に観たのかどうか、自分の記憶はどうにも頼りないのだ。ボリス・カーロフが扮する怪物のイメージが強烈すぎて、観てもいないのに観たような錯覚をしているのかもしれない。フランケンシュタイン博士を演じた俳優は誰だったのか、どんな共演者がいたのか、監督の名は? 自分は知らない。なにもかもがボリス・カーロフの「フランケンシュタインの怪物」の衝撃の前にかき消されている。しかもボリス・カーロフ本人の素顔でさえも「怪物の顔」の陰に隠れてしまっている。ボリス・カーロフの本当の顔を思い出せる人間は、いったいどのくらいいるのだろうか? 十人中九人はボーリス・カーロフの顔を知らないように思う。もちろん自分も判らない。実に奇妙な事である。映画史上に残る作品に主演した俳優の顔を我々は知らない。我々はいったい何を視ているのだろうか。これはとても不幸な宿命を背負った映画なのかもしれない。
原作の小説も不幸だ。松岡正剛は《『フランケンシュタイン』は文学史上でも最もよく知られた作品でありながら、ほとんど読まれていないということでも有名な作品である》と書いている。不幸だ。
原著の初版では作者は匿名だった。なぜ作者名を秘す必要があったのかは判らないが、十三年後の改訂版の刊行に際して、ようやく著者がメアリ・シェリーであったことが明らかになる。
我が国での『フランケンシュタイン』の訳出は、戦後まもない昭和二十三年(一九四八)の山本政喜訳『巨人の復讐 フランケンシュタイン』が最初のようだ。ということは我が国では『フランケンシュタイン』が文学作品として読めるようになった時には、既に映画のモンスターのイメージがすっかり定着していたはずだ。読者はボリス・カーロフを思い浮かべながら頁を繰ったのだろう。山本政喜自身、この訳本を継承したと思われる角川文庫版の解説で、次のように書いている。
《「フランケンシュタイン」という名前はよく知られているが、今までに原作の翻訳がなかったのと、今までにきたフランケンシュタインをとりあつかった数種の映画の印象からして、フランケンシュタインがすなわちあの作られた怪人だと考えられているようである。本訳書によって本当のことを知っていただきたい。》
親(原作)と子(映画)の逆転。これも不幸だ。
それはともかく、昭和二十八年に出た山本政喜訳の角川文庫は着実に版を重ねて現在に至る。初訳以来いくつかの邦訳はあったものの、容易に入手可能な邦訳本といえば、山本訳以外には、昭和五十九年に初版が刊行された森下弓子の新訳による創元推理文庫まで待たねばならなかった。だから戦後四十年もの間、日本人にとって『フランケンシュタイン』の原作は、山本政喜訳の角川文庫版が一般的なテキストだったのである。
ここにも不幸がある。というのは山本訳本では、著者名を「シェリー夫人」と表記しているからだ。メアリ・シェリーは、十九世紀英国ロマン派の抒情詩人のパーシー・シェリーの妻である。彼女には「夫人」という属性が常につきまとった。その属性は誤りではないが、メアリの母親がフェミニズムの先駆者であることを思えばなんとも皮肉である(おっと、これも属性か…)。また『フランケンシュタイン』が詩人シェリーの著作だと勘違いするうっかり者も後を絶たなかった。しかしこの「勘違い」も原作の成り立ちを知れば誤りではなくなるのだから、余計に「不幸」は複雑になってくる。更に不幸なことに、この事情は山本政喜訳の角川文庫版では読者に伝わらないのである。
不幸はまだ続く。(続く)
『フランケンシュタイン』の原著初版の出版は一八一八年である。一八三一年に改版が刊行され、それからちょうど百年が経った一九三一年にユニバーサル社によって映画化された。この映画が原作とは異なるストーリーを世の中に広め、この映画が「フランケンシュタイン」のイメージを決定した。その功罪は甚だ大である。
フランケンシュタインは人造人間ではない。科学者である。ところが多くの人が、首に金属ボルトを打ち込まれた縫合手術跡だらけの大男を「フランケンシュタイン」だと思っている。あの怪人は「フランケンシュタインの(造った)怪物」なのである。こうした誤解を払拭するのは、もはや不可能に近いような気がする。自分にしてもフランケンシュタインという名辞から即座に思い浮かべるのは、怪物の不気味な容貌である。ところが『フランケンシュタイン』の映画を実際に観たのかどうか、自分の記憶はどうにも頼りないのだ。ボリス・カーロフが扮する怪物のイメージが強烈すぎて、観てもいないのに観たような錯覚をしているのかもしれない。フランケンシュタイン博士を演じた俳優は誰だったのか、どんな共演者がいたのか、監督の名は? 自分は知らない。なにもかもがボリス・カーロフの「フランケンシュタインの怪物」の衝撃の前にかき消されている。しかもボリス・カーロフ本人の素顔でさえも「怪物の顔」の陰に隠れてしまっている。ボリス・カーロフの本当の顔を思い出せる人間は、いったいどのくらいいるのだろうか? 十人中九人はボーリス・カーロフの顔を知らないように思う。もちろん自分も判らない。実に奇妙な事である。映画史上に残る作品に主演した俳優の顔を我々は知らない。我々はいったい何を視ているのだろうか。これはとても不幸な宿命を背負った映画なのかもしれない。
原作の小説も不幸だ。松岡正剛は《『フランケンシュタイン』は文学史上でも最もよく知られた作品でありながら、ほとんど読まれていないということでも有名な作品である》と書いている。不幸だ。
原著の初版では作者は匿名だった。なぜ作者名を秘す必要があったのかは判らないが、十三年後の改訂版の刊行に際して、ようやく著者がメアリ・シェリーであったことが明らかになる。
我が国での『フランケンシュタイン』の訳出は、戦後まもない昭和二十三年(一九四八)の山本政喜訳『巨人の復讐 フランケンシュタイン』が最初のようだ。ということは我が国では『フランケンシュタイン』が文学作品として読めるようになった時には、既に映画のモンスターのイメージがすっかり定着していたはずだ。読者はボリス・カーロフを思い浮かべながら頁を繰ったのだろう。山本政喜自身、この訳本を継承したと思われる角川文庫版の解説で、次のように書いている。
《「フランケンシュタイン」という名前はよく知られているが、今までに原作の翻訳がなかったのと、今までにきたフランケンシュタインをとりあつかった数種の映画の印象からして、フランケンシュタインがすなわちあの作られた怪人だと考えられているようである。本訳書によって本当のことを知っていただきたい。》
親(原作)と子(映画)の逆転。これも不幸だ。
それはともかく、昭和二十八年に出た山本政喜訳の角川文庫は着実に版を重ねて現在に至る。初訳以来いくつかの邦訳はあったものの、容易に入手可能な邦訳本といえば、山本訳以外には、昭和五十九年に初版が刊行された森下弓子の新訳による創元推理文庫まで待たねばならなかった。だから戦後四十年もの間、日本人にとって『フランケンシュタイン』の原作は、山本政喜訳の角川文庫版が一般的なテキストだったのである。
ここにも不幸がある。というのは山本訳本では、著者名を「シェリー夫人」と表記しているからだ。メアリ・シェリーは、十九世紀英国ロマン派の抒情詩人のパーシー・シェリーの妻である。彼女には「夫人」という属性が常につきまとった。その属性は誤りではないが、メアリの母親がフェミニズムの先駆者であることを思えばなんとも皮肉である(おっと、これも属性か…)。また『フランケンシュタイン』が詩人シェリーの著作だと勘違いするうっかり者も後を絶たなかった。しかしこの「勘違い」も原作の成り立ちを知れば誤りではなくなるのだから、余計に「不幸」は複雑になってくる。更に不幸なことに、この事情は山本政喜訳の角川文庫版では読者に伝わらないのである。
不幸はまだ続く。(続く)
静岡浅間通り商店街に実店舗をかまえる古本屋です。1976年に開店し、今年で47年目になります。
ニックネームは「ぶしょうてい」と読みます。
投稿記事は過去に様々な媒体に寄稿した文章が中心です。アーカイヴ的に使っています。
目次のページがこちらです。↓
https://simblo.net/u/pXv7Pf/post/14906
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