SNSと自己顕示欲と絵師互助会
公開 2024/06/22 20:08
最終更新
2024/08/30 21:10
思うことがあり、ブログにて気持ちを整理しつつ吐き出させていただきます。
某SNSにてこんな呟きを見かけました。
『先日SNSにて、「生成AIの氾濫が凄まじい。データベースに自分たちの絵を学習された挙句、絵を出力するスピードが早すぎる。
絵は描く人の人間性を表すものと思っていたぶん、落胆が大きく、描く意欲が削がれている。人間が絵を描く意味はあるのだろうか」
…
との嘆きを見た。』
という前置きのもと
『分からんではないが、描く理由を他人に渡しすぎではないか。
結局他責にすることで描かない理由を見つけたいだけ。そんな人は遅かれ早かれ描かなくなる。
描く自分の原動力は自分の中で培っていくしかない。「描きたい・描かずにはいられない」という自発的衝動が正しい姿だろう。
SNSでの評価に振り回される生き方はやめたほうがいい』
と反論をしておりました。
(多少ぼかしておりますが概ねこんな内容)
その反論の呟きをした方に対して、同意とともに
「自己満足で描いているから、別に他人の評価なんて要らない」
「自分の作品の世界のいちばんの理解者は自分」
という意見も散見されました。
そういう方は、自分の中で揺らがない独自の世界観を持っているため、モチベーションを他者によって抉られることは殆どないのかもしれません。
ただ…そういった方の意見の中で
「いいねなんてただの数字(※記号の意)でそれ以上でも以下でもない」
「誰にも見てもらえないことが平常だと思うべき」
と、たしなめるように強い言葉を使っている方もいました。
私の意見としては、半分同意。
もう半分は複雑な心境です。
衝動で描いていたとしても、やはり公の場(インターネットの海)に作品を放流している以上、自分の作品が全く誰にも見られない・評価されないことは、心が抉られるほどつらいという人もいるんだよ。と言いたい。
『いいねなんて記号に過ぎない』『寧ろ見て貰える事が奇跡』……その意見はもっともだと思います。
ですが、他人からの評価で自己肯定感を上げたり、モチベーションを保っていたりする人もいます。
(というか私です。)
外発的な動機を否とバッサリと切り捨てたり拒絶するのではなく、もう少し寄り添ってくれたらなぁ、と思いました。
私のスマホ内には、インターネットの投稿サイトに公開せずにメモ帳に残したままの二次創作SS作品が多数あります。
作品をネットの海に公開した時点で、『誰しも』(重要)が「他者に見てもらいたい」という気持ちが、多かれ少なかれあると思っています。
作品だけでなく日常の写真やスクリーンショットなどもそうですよね。アップロードするということは、誰かに見られる(・評価される)であろうこと前提です。
話は変わりますが、絵師の互助会、という言葉を最近耳にしました。
おそらくはTwitter(現X)が発祥なのでしょうか。
自身の相互フォローの作品が投稿されたら、いいねをつけたりRPする・エアリプで感想を言う、など暗黙の了解があるようです。
思わずその呟きを見た途端「私は違う。自分の意思でいいねもRPもしている」と脊髄反射のように反応してしまったのですが、
もしかしたら私も、SNSで互助会メンバーだと思われているのかもしれません。
また、SNSの「繋がりたいタグ」は、本来は絵を描く人同士でフォローし合い、相手の作品を見るために使われるものであるのですが、
裏(=悪意ある使い方)では、フォロワー数を増やす…云わば「囲い」を作るためでもあることを知りました。
デッサンが崩れたり、ありえないポーズ(俗に言う「骨折絵」)でも「いいね」…
ただの鉛筆ラフだろうと「いいね」…
どんなに手抜きしようとも互いにいいねを送り合うことでいいね0は防げる、といった具合のようです。
「自分の創作は他者に見て貰えなくても平気」な方々は、絵師同士で繋がりあっていいねを押し合う行為を、やはり卑劣・滑稽と思うのでしょうか。
手抜き絵に関しては私もいいねを押すのは躊躇うと思います。
しかし今は「いいね数」「リポスト数」による『数字至上主義』時代です。そんな絵でも『評価されているもの』と誰しもが思い込んでしまうのですよね。
人から貰う反応(アンケートなども含める)に、創作のモチベーションの全てを委ねることには反対です。
ですが、原動力の一部にするのは、いいのではないかな。というか、そのくらいは容赦していただきたい。
おそらくこの議論は、平行線のままでしょうね……
余談
つい先日、私はフォロワーの1人をリムーブしました。
同じソーシャルゲームをプレイしている方ですが、彼女にとって私のソーシャルゲームの絵も、趣味である書写も、タイムライン上で「見えないもの」として徹底的に無視されました。
絵の上手な人の絵はRTしたり、いいねをしていたようですので、彼女にとって私は『取るに足らない、絵のレベルの低い素人』だったのでしょう。
それまで別の話題などで色々交流してくださったことには感謝しております。ありがとうございました。
私は元々、漫画のような絵を描くことが好きですが、幼少期含め大人から「絵が上手い」と言われたことはありません。友人が「素敵」「いいね」と褒めてくれたのがモチベーションを高めるきっかけでした。
今私が描いているチャレンジ絵も、今描ける自分の精一杯で試行錯誤しながら描いています。
手を抜いたことなどありません。
だから互助会も要りません。
ただそれだけです。
某SNSにてこんな呟きを見かけました。
『先日SNSにて、「生成AIの氾濫が凄まじい。データベースに自分たちの絵を学習された挙句、絵を出力するスピードが早すぎる。
絵は描く人の人間性を表すものと思っていたぶん、落胆が大きく、描く意欲が削がれている。人間が絵を描く意味はあるのだろうか」
…
との嘆きを見た。』
という前置きのもと
『分からんではないが、描く理由を他人に渡しすぎではないか。
結局他責にすることで描かない理由を見つけたいだけ。そんな人は遅かれ早かれ描かなくなる。
描く自分の原動力は自分の中で培っていくしかない。「描きたい・描かずにはいられない」という自発的衝動が正しい姿だろう。
SNSでの評価に振り回される生き方はやめたほうがいい』
と反論をしておりました。
(多少ぼかしておりますが概ねこんな内容)
その反論の呟きをした方に対して、同意とともに
「自己満足で描いているから、別に他人の評価なんて要らない」
「自分の作品の世界のいちばんの理解者は自分」
という意見も散見されました。
そういう方は、自分の中で揺らがない独自の世界観を持っているため、モチベーションを他者によって抉られることは殆どないのかもしれません。
ただ…そういった方の意見の中で
「いいねなんてただの数字(※記号の意)でそれ以上でも以下でもない」
「誰にも見てもらえないことが平常だと思うべき」
と、たしなめるように強い言葉を使っている方もいました。
私の意見としては、半分同意。
もう半分は複雑な心境です。
衝動で描いていたとしても、やはり公の場(インターネットの海)に作品を放流している以上、自分の作品が全く誰にも見られない・評価されないことは、心が抉られるほどつらいという人もいるんだよ。と言いたい。
『いいねなんて記号に過ぎない』『寧ろ見て貰える事が奇跡』……その意見はもっともだと思います。
ですが、他人からの評価で自己肯定感を上げたり、モチベーションを保っていたりする人もいます。
(というか私です。)
外発的な動機を否とバッサリと切り捨てたり拒絶するのではなく、もう少し寄り添ってくれたらなぁ、と思いました。
私のスマホ内には、インターネットの投稿サイトに公開せずにメモ帳に残したままの二次創作SS作品が多数あります。
作品をネットの海に公開した時点で、『誰しも』(重要)が「他者に見てもらいたい」という気持ちが、多かれ少なかれあると思っています。
作品だけでなく日常の写真やスクリーンショットなどもそうですよね。アップロードするということは、誰かに見られる(・評価される)であろうこと前提です。
話は変わりますが、絵師の互助会、という言葉を最近耳にしました。
おそらくはTwitter(現X)が発祥なのでしょうか。
自身の相互フォローの作品が投稿されたら、いいねをつけたりRPする・エアリプで感想を言う、など暗黙の了解があるようです。
思わずその呟きを見た途端「私は違う。自分の意思でいいねもRPもしている」と脊髄反射のように反応してしまったのですが、
もしかしたら私も、SNSで互助会メンバーだと思われているのかもしれません。
また、SNSの「繋がりたいタグ」は、本来は絵を描く人同士でフォローし合い、相手の作品を見るために使われるものであるのですが、
裏(=悪意ある使い方)では、フォロワー数を増やす…云わば「囲い」を作るためでもあることを知りました。
デッサンが崩れたり、ありえないポーズ(俗に言う「骨折絵」)でも「いいね」…
ただの鉛筆ラフだろうと「いいね」…
どんなに手抜きしようとも互いにいいねを送り合うことでいいね0は防げる、といった具合のようです。
「自分の創作は他者に見て貰えなくても平気」な方々は、絵師同士で繋がりあっていいねを押し合う行為を、やはり卑劣・滑稽と思うのでしょうか。
手抜き絵に関しては私もいいねを押すのは躊躇うと思います。
しかし今は「いいね数」「リポスト数」による『数字至上主義』時代です。そんな絵でも『評価されているもの』と誰しもが思い込んでしまうのですよね。
人から貰う反応(アンケートなども含める)に、創作のモチベーションの全てを委ねることには反対です。
ですが、原動力の一部にするのは、いいのではないかな。というか、そのくらいは容赦していただきたい。
おそらくこの議論は、平行線のままでしょうね……
余談
つい先日、私はフォロワーの1人をリムーブしました。
同じソーシャルゲームをプレイしている方ですが、彼女にとって私のソーシャルゲームの絵も、趣味である書写も、タイムライン上で「見えないもの」として徹底的に無視されました。
絵の上手な人の絵はRTしたり、いいねをしていたようですので、彼女にとって私は『取るに足らない、絵のレベルの低い素人』だったのでしょう。
それまで別の話題などで色々交流してくださったことには感謝しております。ありがとうございました。
私は元々、漫画のような絵を描くことが好きですが、幼少期含め大人から「絵が上手い」と言われたことはありません。友人が「素敵」「いいね」と褒めてくれたのがモチベーションを高めるきっかけでした。
今私が描いているチャレンジ絵も、今描ける自分の精一杯で試行錯誤しながら描いています。
手を抜いたことなどありません。
だから互助会も要りません。
ただそれだけです。
成人済のオタクママ
婚活~結婚後アニメや二次創作から遠ざかっていましたが
出産後にオタク復帰しゆるゆる二次創作を再開
ポケモンのイーブイと、書写と、ポルノグラフィティと、刀剣乱舞が好きです
婚活~結婚後アニメや二次創作から遠ざかっていましたが
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