【創作】喫茶夕凪の交換日記
公開 2024/07/31 08:55
最終更新
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6月の第2土曜日、シャッター商店街の近道を通り抜けると、その看板が見えた。
『喫茶 夕凪』
図書館の帰り道、長居しないつもりで入った喫茶店だった。
その店のドアを開けた瞬間、私は「ここにはまた来る」と分かった。
今日も喫茶店へ向かう。
図書館から続く坂道を下った所にある。
夕暮れの風が心地良い。
ドアベルを鳴らしながら店に入る。
アール・ヌーヴォー調の家具が並ぶ店内に、
レコードでtwo-fiveのジャズが流れている。
お客さんは私だけ。
物言わぬマスターに目配せして、窓際のテーブル席に座る。
この席が私のお気に入りだ。
ここには『交換日記』があるのだ。
元々は「アイスコーヒーが美味しかったです」なんて記す、お店への寄せ書きノートだったのだろう。
それが、いつの間にかお客さんたちの『自由な遊び場』になっている。
たくさんの誰かさんたちが、何気ない日常を綴っている。
最近は、これを楽しみに来ている。
今日はどんなことが書いてあるだろうか。
🐈🐈
好きな小説は何ですか。
元気が出ない日はどうしていますか。
うちの庭にやってくる青い鳥の名前を教えてください。
ノートの罫線の上を、色とりどりの言葉が、ボトルメールのように漂っていく。
返事は返ってこないかもしれない。
それでもいい。
浜辺で光るボトルを見つけるなんて奇跡だから。
問いを書く人は、答えは求めていないのかもしれない。
心の内を書いた瞬間、その人の悩みは軽くなっていく。
この交換日記には、不思議な文化がある。
誰かが書いたひとことに「いいね」と思ったら、文末に『コーヒーカップ』の絵を小さく描いておく。
誰かが「ちょっと疲れたなぁ」と書いた日は、その言葉の周りを無数のコーヒーカップがぐるりと囲んでいる。
「ちょっと一息、コーヒーでもどうぞ」
そんな励ましの意味なのだろう。
誰かのひとことに、見知らぬ誰かの優しさが波紋のように広がっていく。
見知らぬ誰かが、私ではない誰かの背中を押している。
見知らぬ誰かの言葉が、私の心を柔らかくする。
🐈🐈
マスターがお冷とおしぼりを持ってきた。
私は小さな声で「ホット」とだけ呟いた。
この店では、無駄な言葉の装飾は野暮だ。
アメリカン、ブレンド、オリジナル。
「ホット」と言えば、当店のオリジナル珈琲の『夕凪』がやってくる。
お腹が空いたらカレーがある。
気になるのが、おでん。
この店のコーヒーと合いそうだ。
コーヒー豆の挽かれる音。
初めて出会うけれど、懐かしい匂いがする。
私は交換日記のページをめくる。
🐈🐈
この店の常連らしき誰かの日記には、いつもユーモアが散りばめられている。
『やる気の無い日は散歩に限る』という文章と、くわえ煙草の長髪のイラストを描く人がいる。
この前、始末書を書くサラリーマンの絵を描いていた人だ。
江戸の古地図アプリを駆使して、この街の成り立ちをイラストにした『お散歩マップ』を作っている人がいる。
あれは用水路の跡地だったのか。
映画好きなマスターの為に、古い映画のビデオテープを差し入れする人がいるらしい。
確かにブラウン管のテレビの隣りに、『あぶない刑事』のVHSが置いてあるけれど、マスターともう少し仲良くならないと再生してくれないだろう。
そういえば、この交換日記で、裏メニューのおでんを知った。
選ばれし「おでんを注文する常連」になりたいものだ。
🐈🐈
マスターがそっとコーヒーを置いた。
交換日記から視線を上げる。
ああ、そうか。
窓辺に夕陽のオレンジが差し込んでくると、
いつも通りの日常が鮮やかに見えた。
この交換日記を綴る人たちは、名も無き"誰かさん"ではない。
ここではないどこかで、泣いたり笑ったり、日々を懸命に生きている「私」と「あなた」だ。
私ではない誰かが、ここではないどこかで、この日記を読んでいる。
それだけで、心が軽くなる。
レコードが鳴り止む。
マスターが次のレコードを手に取る。
木製のレコードスタンドの右側で、写真立てが光っている。
写真の下には、手紙が置かれていた。
私は、ペンを取った。
🐈🐈
眠れない夜を過ごす
誰かの元に
届く声がある
しんと静まり返った真夜中
海の向こうから
「大丈夫だよ」と声がする
声の主は見えなくとも
わたしには分かる
「もう大丈夫」だと
ここまで書いて、ペンを置いた。
この言葉は誰かに届くかもしれない。
誰にも届かずに、新しいノートに交換されてしまうかもしれない。
それでもいい。
言葉は、きっと届くはずだ。
私を待っている、誰かの元に。
『喫茶 夕凪』
図書館の帰り道、長居しないつもりで入った喫茶店だった。
その店のドアを開けた瞬間、私は「ここにはまた来る」と分かった。
今日も喫茶店へ向かう。
図書館から続く坂道を下った所にある。
夕暮れの風が心地良い。
ドアベルを鳴らしながら店に入る。
アール・ヌーヴォー調の家具が並ぶ店内に、
レコードでtwo-fiveのジャズが流れている。
お客さんは私だけ。
物言わぬマスターに目配せして、窓際のテーブル席に座る。
この席が私のお気に入りだ。
ここには『交換日記』があるのだ。
元々は「アイスコーヒーが美味しかったです」なんて記す、お店への寄せ書きノートだったのだろう。
それが、いつの間にかお客さんたちの『自由な遊び場』になっている。
たくさんの誰かさんたちが、何気ない日常を綴っている。
最近は、これを楽しみに来ている。
今日はどんなことが書いてあるだろうか。
🐈🐈
好きな小説は何ですか。
元気が出ない日はどうしていますか。
うちの庭にやってくる青い鳥の名前を教えてください。
ノートの罫線の上を、色とりどりの言葉が、ボトルメールのように漂っていく。
返事は返ってこないかもしれない。
それでもいい。
浜辺で光るボトルを見つけるなんて奇跡だから。
問いを書く人は、答えは求めていないのかもしれない。
心の内を書いた瞬間、その人の悩みは軽くなっていく。
この交換日記には、不思議な文化がある。
誰かが書いたひとことに「いいね」と思ったら、文末に『コーヒーカップ』の絵を小さく描いておく。
誰かが「ちょっと疲れたなぁ」と書いた日は、その言葉の周りを無数のコーヒーカップがぐるりと囲んでいる。
「ちょっと一息、コーヒーでもどうぞ」
そんな励ましの意味なのだろう。
誰かのひとことに、見知らぬ誰かの優しさが波紋のように広がっていく。
見知らぬ誰かが、私ではない誰かの背中を押している。
見知らぬ誰かの言葉が、私の心を柔らかくする。
🐈🐈
マスターがお冷とおしぼりを持ってきた。
私は小さな声で「ホット」とだけ呟いた。
この店では、無駄な言葉の装飾は野暮だ。
アメリカン、ブレンド、オリジナル。
「ホット」と言えば、当店のオリジナル珈琲の『夕凪』がやってくる。
お腹が空いたらカレーがある。
気になるのが、おでん。
この店のコーヒーと合いそうだ。
コーヒー豆の挽かれる音。
初めて出会うけれど、懐かしい匂いがする。
私は交換日記のページをめくる。
🐈🐈
この店の常連らしき誰かの日記には、いつもユーモアが散りばめられている。
『やる気の無い日は散歩に限る』という文章と、くわえ煙草の長髪のイラストを描く人がいる。
この前、始末書を書くサラリーマンの絵を描いていた人だ。
江戸の古地図アプリを駆使して、この街の成り立ちをイラストにした『お散歩マップ』を作っている人がいる。
あれは用水路の跡地だったのか。
映画好きなマスターの為に、古い映画のビデオテープを差し入れする人がいるらしい。
確かにブラウン管のテレビの隣りに、『あぶない刑事』のVHSが置いてあるけれど、マスターともう少し仲良くならないと再生してくれないだろう。
そういえば、この交換日記で、裏メニューのおでんを知った。
選ばれし「おでんを注文する常連」になりたいものだ。
🐈🐈
マスターがそっとコーヒーを置いた。
交換日記から視線を上げる。
ああ、そうか。
窓辺に夕陽のオレンジが差し込んでくると、
いつも通りの日常が鮮やかに見えた。
この交換日記を綴る人たちは、名も無き"誰かさん"ではない。
ここではないどこかで、泣いたり笑ったり、日々を懸命に生きている「私」と「あなた」だ。
私ではない誰かが、ここではないどこかで、この日記を読んでいる。
それだけで、心が軽くなる。
レコードが鳴り止む。
マスターが次のレコードを手に取る。
木製のレコードスタンドの右側で、写真立てが光っている。
写真の下には、手紙が置かれていた。
私は、ペンを取った。
🐈🐈
眠れない夜を過ごす
誰かの元に
届く声がある
しんと静まり返った真夜中
海の向こうから
「大丈夫だよ」と声がする
声の主は見えなくとも
わたしには分かる
「もう大丈夫」だと
ここまで書いて、ペンを置いた。
この言葉は誰かに届くかもしれない。
誰にも届かずに、新しいノートに交換されてしまうかもしれない。
それでもいい。
言葉は、きっと届くはずだ。
私を待っている、誰かの元に。