灯台守
公開 2024/04/14 22:44
最終更新
2024/04/15 00:11
最後に投稿したのが11月13日、気づけば丸々5ヶ月が過ぎている。振り返ってみれば精神的不調が原因であると思われるものの、じゃあ今は精神が安定しているのかというとそうではなく、むしろ11月以降で一番と言っていいくらい不調である。
ほんとうに、きつい。
精神不調の原因はここには書けない。でも、僕はこうして文章を書くことによって少し救われる。
苦しみの最中に(さなかに、と読んで欲しい。もなかやさいちゅうではなく。そして僕はもなかが好きだ)いても、誰かに「私は今とても苦しい」と言うだけで少し傷が癒える。「こういうことがあって苦しいんだ」と具体的に言わなくても気持ちが軽くなる。そういうシステム、というか心の動きのために僕は文章を書く。
ということを今僕はしている。
前に僕は「シンプルブログはインデックスを拒否している」と書いたけど、それは間違っていた。ブログタイトルでGoogle検索したらきっちりこのブログが表示された。
それで、このブログを辞めてインデックス拒否を出来る媒体に移動しようかと思ったんだけど、別にそこまでして検索を避けなくてもいいかと思い留まった。
ブログを読まれたいのか読まれたくないのか絶妙なところで僕の気持ちは行ったり来たりする。でも、上に書いたような理由で、文章を書いて投稿する。
つまり、誰かに読んでもらえているかもしれないところに僕の状況を書くことによって僕が救われているのだ。絶対に読まれない文章や、誰が読んでいるのかが明確である文章では“救われ”が発生しない。
そういうことです。これを読んでくれている方、ほんとうにありがとう。
そして、僕はここにいます、と伝えたい。
それは、「僕がそばにいるよ」的なことではなく、「僕を知ってほしい」的なことでもなくニンゲンがここにいる、ということだ。
いや、別に、それがどうしたという話ではある。それはそうだ。
こんなもったいぶって書くことじゃないんだけど、たとえば、夜間に山に登っているとする。真っ暗の中ヘッドライトを頼りに、鬱蒼とした森林地帯で、風が吹いていて、おまけに雨も降り始めて足元も不安定で道を少し外れれば崖だってある。遠くから獣の声も聞こえる気がしてくる。不安だ。不安でしょうがない。どうして山なんて登っているんだろう。どうして1人でここに来てしまったのか。
というときに後ろを振り返ったらヘッドライトの明かりが見えた。ひとがいる、自分以外にもひとがいる。その安心感。
そういう感じだ。ぜんぜん伝わらない。描写が下手すぎる。絶望。
ひとがいる、それで掬われることありませんか。別にいたから一緒になにかするとか、共に戦うとかそういうのじゃなく、挨拶すらもせず、ニンゲンがいた痕跡にほっとすること。
僕はインターネット宇宙をさまよっているので、いると思っていたところにニンゲンのたしかな営みや思想の流れを発見するとほっとする。安堵する。それで充分、そんなときもある。
さあいよいよなにを書いているか分からなくなってきました!でもだいぶ落ち着きました。
毎日落ち着きたい。
僕のいる星では桜が咲いています。春という期間があり、春の期間の中頃に桜という名前の木にピンク色の花が咲きます。桜は花弁を5枚円形に繋いだ形をしていて、花びら1枚は小指の爪ほどの大きさです。
花びらがにんげんの爪だったら恐怖ですがこれは例え話なので安心してください。
街中の桜は、この木は桜だと年中認識しているけど、山の中の桜は咲く度にあんなところに桜の木があったんだ、と感動する。
そんなところです。
また、間を置かずに投稿したい。
皆さまが幸せでありますように、僕が幸せでありますように。懇願しています。
ほんとうに、きつい。
精神不調の原因はここには書けない。でも、僕はこうして文章を書くことによって少し救われる。
苦しみの最中に(さなかに、と読んで欲しい。もなかやさいちゅうではなく。そして僕はもなかが好きだ)いても、誰かに「私は今とても苦しい」と言うだけで少し傷が癒える。「こういうことがあって苦しいんだ」と具体的に言わなくても気持ちが軽くなる。そういうシステム、というか心の動きのために僕は文章を書く。
ということを今僕はしている。
前に僕は「シンプルブログはインデックスを拒否している」と書いたけど、それは間違っていた。ブログタイトルでGoogle検索したらきっちりこのブログが表示された。
それで、このブログを辞めてインデックス拒否を出来る媒体に移動しようかと思ったんだけど、別にそこまでして検索を避けなくてもいいかと思い留まった。
ブログを読まれたいのか読まれたくないのか絶妙なところで僕の気持ちは行ったり来たりする。でも、上に書いたような理由で、文章を書いて投稿する。
つまり、誰かに読んでもらえているかもしれないところに僕の状況を書くことによって僕が救われているのだ。絶対に読まれない文章や、誰が読んでいるのかが明確である文章では“救われ”が発生しない。
そういうことです。これを読んでくれている方、ほんとうにありがとう。
そして、僕はここにいます、と伝えたい。
それは、「僕がそばにいるよ」的なことではなく、「僕を知ってほしい」的なことでもなくニンゲンがここにいる、ということだ。
いや、別に、それがどうしたという話ではある。それはそうだ。
こんなもったいぶって書くことじゃないんだけど、たとえば、夜間に山に登っているとする。真っ暗の中ヘッドライトを頼りに、鬱蒼とした森林地帯で、風が吹いていて、おまけに雨も降り始めて足元も不安定で道を少し外れれば崖だってある。遠くから獣の声も聞こえる気がしてくる。不安だ。不安でしょうがない。どうして山なんて登っているんだろう。どうして1人でここに来てしまったのか。
というときに後ろを振り返ったらヘッドライトの明かりが見えた。ひとがいる、自分以外にもひとがいる。その安心感。
そういう感じだ。ぜんぜん伝わらない。描写が下手すぎる。絶望。
ひとがいる、それで掬われることありませんか。別にいたから一緒になにかするとか、共に戦うとかそういうのじゃなく、挨拶すらもせず、ニンゲンがいた痕跡にほっとすること。
僕はインターネット宇宙をさまよっているので、いると思っていたところにニンゲンのたしかな営みや思想の流れを発見するとほっとする。安堵する。それで充分、そんなときもある。
さあいよいよなにを書いているか分からなくなってきました!でもだいぶ落ち着きました。
毎日落ち着きたい。
僕のいる星では桜が咲いています。春という期間があり、春の期間の中頃に桜という名前の木にピンク色の花が咲きます。桜は花弁を5枚円形に繋いだ形をしていて、花びら1枚は小指の爪ほどの大きさです。
花びらがにんげんの爪だったら恐怖ですがこれは例え話なので安心してください。
街中の桜は、この木は桜だと年中認識しているけど、山の中の桜は咲く度にあんなところに桜の木があったんだ、と感動する。
そんなところです。
また、間を置かずに投稿したい。
皆さまが幸せでありますように、僕が幸せでありますように。懇願しています。
登場人物
〈僕〉
・象工場勤務
・KとHと暮らしている
・好きなのみものは葛根湯
〈K〉
・一歳ちょっと
・好きなのみものは麦茶
〈H〉
・よくわからないけど部品をつくる仕事をしている
・好きなのか知らないけどコーヒーをよく飲んでいる
〈僕〉
・象工場勤務
・KとHと暮らしている
・好きなのみものは葛根湯
〈K〉
・一歳ちょっと
・好きなのみものは麦茶
〈H〉
・よくわからないけど部品をつくる仕事をしている
・好きなのか知らないけどコーヒーをよく飲んでいる
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