休息
公開 2024/08/04 22:45
最終更新
2024/08/05 07:42
一日どこへも外へ出ずに過ごした。
こんな日もある。
シロップを混ぜて作ったゼリーを食べたり端っこ的なものの始末を兼ねてクッキーを焼いた。
ブルーハワイシロップ大活躍。アメリカンチェリーのコンポート汁とパッションフルーツのジュースで五色作れた。
自分の作ったものをへなちょこと呼びたい欲というのがある。自我の延長、緊張から解放されて作った、その過程も含めて愛でたい奴ら、と思いたい欲求である。
(卑下したいのではないから、自分をひっそり慰めておしまい)
オートミールクッキーのライオン、ピンクのフラミンゴ、ビスキュイのきりんや象。
懐かしい動物園だ。
U-NEXTで「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を観た。
麦戸です、と名乗る女子学生の役のかた、これは「いとみち」の…と思ったら果たしてそうであった。駒井蓮さん、低い柔らかい声がとても良くてずっと聴いていたい。
ぬいぐるみと話すとは自分という存在を真摯に確かめる行為なのだけど、ぼくが大学生の頃には全く出来なかった事で、映画の彼らの危なっかしい勇気をハラハラしながら観た。あっという間の2時間だった。
社会体制にうまく嵌ることが「大人になる」事だと思いたい時期があった。
自分の気持ちに蓋をして、誰かの欲に従って生きるのが正しいのだと。
ぼくの場合はいつの間にか眠れなくなった、というオチがあるが。
ぬいぐるみに話していたことをぼくにも聞かせて欲しい、と話す場面がとても良かった。
「わかるよ」という言葉を発するとき、それは自分に対してであって、対他者ではないときがある。映画はそれもひとつのプロセスとして描いているのが良かった。話をききながらこころは自分と相手とを行ったり来たりする(相手にかけているはずの言葉とは自分に聞かせている言葉だったりする)、自分にも相手にも真摯で、時間をかけて発せられた「もっと話そう」は深く信頼できると思った。
ぼくたちが使いがちな言葉は「もっと話さなきゃ」だろうな、とぼんやりと。
映画はガラス玉を通したような、滲んだ視界のカットがはさまれる。その視点が何か、とわかると何とも泣きたくなるような気分になる。
ぼくのぬいぐるみ。
こんな日もある。
シロップを混ぜて作ったゼリーを食べたり端っこ的なものの始末を兼ねてクッキーを焼いた。
ブルーハワイシロップ大活躍。アメリカンチェリーのコンポート汁とパッションフルーツのジュースで五色作れた。
自分の作ったものをへなちょこと呼びたい欲というのがある。自我の延長、緊張から解放されて作った、その過程も含めて愛でたい奴ら、と思いたい欲求である。
(卑下したいのではないから、自分をひっそり慰めておしまい)
オートミールクッキーのライオン、ピンクのフラミンゴ、ビスキュイのきりんや象。
懐かしい動物園だ。
U-NEXTで「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を観た。
麦戸です、と名乗る女子学生の役のかた、これは「いとみち」の…と思ったら果たしてそうであった。駒井蓮さん、低い柔らかい声がとても良くてずっと聴いていたい。
ぬいぐるみと話すとは自分という存在を真摯に確かめる行為なのだけど、ぼくが大学生の頃には全く出来なかった事で、映画の彼らの危なっかしい勇気をハラハラしながら観た。あっという間の2時間だった。
社会体制にうまく嵌ることが「大人になる」事だと思いたい時期があった。
自分の気持ちに蓋をして、誰かの欲に従って生きるのが正しいのだと。
ぼくの場合はいつの間にか眠れなくなった、というオチがあるが。
ぬいぐるみに話していたことをぼくにも聞かせて欲しい、と話す場面がとても良かった。
「わかるよ」という言葉を発するとき、それは自分に対してであって、対他者ではないときがある。映画はそれもひとつのプロセスとして描いているのが良かった。話をききながらこころは自分と相手とを行ったり来たりする(相手にかけているはずの言葉とは自分に聞かせている言葉だったりする)、自分にも相手にも真摯で、時間をかけて発せられた「もっと話そう」は深く信頼できると思った。
ぼくたちが使いがちな言葉は「もっと話さなきゃ」だろうな、とぼんやりと。
映画はガラス玉を通したような、滲んだ視界のカットがはさまれる。その視点が何か、とわかると何とも泣きたくなるような気分になる。
ぼくのぬいぐるみ。