カリウム
公開 2026/07/03 17:20
最終更新
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昨日、あの暮れなずむ夕餉(ゆうげ)の刻限に起きた、我が領土における不条理劇の記録である。
思えば先週あたりから、我が愛娘にして前世シベリアのナンシーたるポッポ氏は、「海苔がのったラーメンが食べたい」と執拗に電波を発信し続けていた。ところが、いざ私が重い腰を上げて台所の結界へ入り、夕食の準備に取り掛かろうとしたまさにその瞬間、彼女はのうのうとこう宣ったのである。
「夕飯、なくていいんじゃない? お腹すかないし。……あ、ラーメンでいいんじゃない?」
諸君、お気づきだろうか。この矛盾極まる供述を。
「お腹が空かない」と言い放ったその口の根も乾かぬうちに、流れるような手際で「ラーメン」を要求してきたのだ。しかし、その刹那、私の前頭前野にピカリと電流が走った。
「そういえば私、先週あれほどラーメンを作ると約束しておきながら、完全に忘却の彼方へ放り出していたではないか」
罪の意識に駆られた私は、何も腹に入れないよりは、今ここでラーメンの配給を行うほうが遥かに人道的であると判断し、急遽メニューを麺類へと変更した。
完成したのは、健康志向という名の我が執念により、麺の領域を圧倒的な量の野菜が侵食した「麺より野菜のほうが多いラーメン」であった。だが、ポッポ氏はそんな不条理なバランスをもろともせず、実に見事な食べっぷりで器を空にしていき、最後には満足げにこう言い放った。
「思わず、汁まで全部飲み干しちゃったよ」
全つゆ(スープ完飲)。これぞまさしく、深夜十一時半の門限を脅かすほどの、恐るべき塩分の過剰摂取ではないか。
危機感を覚えた私は、母親としての、あるいは台所の医療従事者としての義務感から、ごく自然にこう声をかけた。「ならば、すかさずカリウムを摂っておきたまえ」と。
すると彼女はどうしたか。
躊躇なき足取りでババちゃんの位牌の安置場所へと突進し、お供えされていたバナナを「ガシッ」と力強く鷲掴みにして戻ってくるや否や、もの言わぬ野生動物のごとくパクパクと貪り食い始めたのである。
……おい、お腹は空いていなかったのではないのかね?(笑)
玉蜀黍(とうもろこし)を基準点に置く彼女の胃袋の構造には改めて驚かされるばかりだが、バナナを咀嚼する彼女の姿を眺めているうちに、私はある「恐るべき真理」に思い至り、前頭前野が凍りつくのを感じた。
この一連の日常会話、客観的に見て、極めて奇妙(バグ)である。
一般社会においては、
「ラーメンの汁を飲み干した」→「それは塩分過多である」→「ゆえに、体内の余分なナトリウムの排出を促すため、カリウムを豊富に含む果物を摂取せねばならぬ」→「そうだ、バナナを食べよう」
という、医学的・生物学的な高度な演算を必要とする思考プロセスであるはずなのだ。
ところが、ポッポ氏にとっては、幼少期から我が実験室(台所)でそのような「人体実験の注意事項」ばかりを耳にタコができるほど叩き込まれてきたため、これが呼吸をするのと同じレベルの「当たり前の生存戦略」として脳髄にギッチギチに組み込まれていたのである。私が「カリウムを」と口にした瞬間、彼女の脳内では言われるまでもなく「バナナ、すなわちカリウム、即摂取」という条件反射の回路が完成していたフシがある。
諸君。ポッポ氏の言動が、日頃から世間の平均点からいささか「ズレている」ことは周知の事実であるが、その全宇宙的なズレの土壌を耕し、怪しげな肥料を注ぎ込み続けていたのは、他でもない、この私自身であったのだ(笑)。
人の好みや生態系の序列が難しいのではない。私が彼女を、そのように育て上げてしまったのだ。因果応報、血は争えないとは、実によく言ったものでござるな。
かくして、塩分をバナナで相殺したポッポ氏の健やかなる横顔を見つめつつ、私は自らの教育的実験の成果に、可笑しくも慄(おのの)くのでござる。
思えば先週あたりから、我が愛娘にして前世シベリアのナンシーたるポッポ氏は、「海苔がのったラーメンが食べたい」と執拗に電波を発信し続けていた。ところが、いざ私が重い腰を上げて台所の結界へ入り、夕食の準備に取り掛かろうとしたまさにその瞬間、彼女はのうのうとこう宣ったのである。
「夕飯、なくていいんじゃない? お腹すかないし。……あ、ラーメンでいいんじゃない?」
諸君、お気づきだろうか。この矛盾極まる供述を。
「お腹が空かない」と言い放ったその口の根も乾かぬうちに、流れるような手際で「ラーメン」を要求してきたのだ。しかし、その刹那、私の前頭前野にピカリと電流が走った。
「そういえば私、先週あれほどラーメンを作ると約束しておきながら、完全に忘却の彼方へ放り出していたではないか」
罪の意識に駆られた私は、何も腹に入れないよりは、今ここでラーメンの配給を行うほうが遥かに人道的であると判断し、急遽メニューを麺類へと変更した。
完成したのは、健康志向という名の我が執念により、麺の領域を圧倒的な量の野菜が侵食した「麺より野菜のほうが多いラーメン」であった。だが、ポッポ氏はそんな不条理なバランスをもろともせず、実に見事な食べっぷりで器を空にしていき、最後には満足げにこう言い放った。
「思わず、汁まで全部飲み干しちゃったよ」
全つゆ(スープ完飲)。これぞまさしく、深夜十一時半の門限を脅かすほどの、恐るべき塩分の過剰摂取ではないか。
危機感を覚えた私は、母親としての、あるいは台所の医療従事者としての義務感から、ごく自然にこう声をかけた。「ならば、すかさずカリウムを摂っておきたまえ」と。
すると彼女はどうしたか。
躊躇なき足取りでババちゃんの位牌の安置場所へと突進し、お供えされていたバナナを「ガシッ」と力強く鷲掴みにして戻ってくるや否や、もの言わぬ野生動物のごとくパクパクと貪り食い始めたのである。
……おい、お腹は空いていなかったのではないのかね?(笑)
玉蜀黍(とうもろこし)を基準点に置く彼女の胃袋の構造には改めて驚かされるばかりだが、バナナを咀嚼する彼女の姿を眺めているうちに、私はある「恐るべき真理」に思い至り、前頭前野が凍りつくのを感じた。
この一連の日常会話、客観的に見て、極めて奇妙(バグ)である。
一般社会においては、
「ラーメンの汁を飲み干した」→「それは塩分過多である」→「ゆえに、体内の余分なナトリウムの排出を促すため、カリウムを豊富に含む果物を摂取せねばならぬ」→「そうだ、バナナを食べよう」
という、医学的・生物学的な高度な演算を必要とする思考プロセスであるはずなのだ。
ところが、ポッポ氏にとっては、幼少期から我が実験室(台所)でそのような「人体実験の注意事項」ばかりを耳にタコができるほど叩き込まれてきたため、これが呼吸をするのと同じレベルの「当たり前の生存戦略」として脳髄にギッチギチに組み込まれていたのである。私が「カリウムを」と口にした瞬間、彼女の脳内では言われるまでもなく「バナナ、すなわちカリウム、即摂取」という条件反射の回路が完成していたフシがある。
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人の好みや生態系の序列が難しいのではない。私が彼女を、そのように育て上げてしまったのだ。因果応報、血は争えないとは、実によく言ったものでござるな。
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🎧Sunoプレイリスト ベスト1️⃣
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🎧ベスト2️⃣
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