ヌン活ビフォ活
公開 2026/06/15 10:19
最終更新
2026/06/25 14:47
今朝の事である。我が城の住人たるポッポ氏が、突如として「ぬん!」という、いかなる文明圏の言語ともつかぬ怪しげな咆哮を上げつつ、奇怪極まる謎の姿勢(ポーズ)を私に向かって猛烈に誇示してきた。聞けば、これぞ氏の脳内で新たに開発された「ぬん活」なる儀式であるという。
そこから我らの間で、世俗で流行(はや)り病の如くに囁かれる「ヌン活」についての神学的論争が勃発した。
そもそも、世間一般の御婦人方が洒落た卓を囲む「アフタヌーンティー」なる贅沢な催しは、本質的に紅茶の愉悦を貪る「ティ活」と呼ぶべきではないか。むしろ、文字通り「午後の活動」全般を指してこそ「ヌン活(アフタヌーンの活)」と定義するのが論理的整合性を得るのではないか、と私は至極尤(もっと)もな異議を唱えたのである。
然るにポッポ氏は、我が理路整然たる反論をいとも容易く撥ね退け、「午後という時空において『ぬん』のポーズを炸裂させることこそが、真のヌン活である!」と頑なに言い張るのであった。
しかし、その直後、ポッポ氏は現在の時刻が未だ「午前」という光り輝く領域にあることに突如として気付いたらしい。氏は一瞬の動揺も見せず、即座に「……ならば今は、ビフォ活であるな」と言い直した。
その「ビフォ」なる言葉の背後に隠された不条理なる概念について、私にはとうに察しがついていたが、敢えてその深淵を覗くべく「そのビフォとは一体何事か」と問うてみた。すると氏は、大真面目な顔でこう宣(のたま)ったのである。
「ビフォーヌーン(Before noon)に決まっているではないか」
私は呆れ果て、独り天を仰いだ。そこは人類の共通言語として、素直に「モーニング」と呼ぶべき地平ではないのか(笑)。
たまらず私が「それならば普通に『朝活』で宜しいのではないか」と至極健全な妥協案を提示するも、氏は「断じてビフォ活だ!」と一歩も退かぬ構えであり、その瞳には頑迷なる意志の炎が燃え盛っていた。
斯くして、我が城の歴史に新たなる頁が加わった。
世間一般の凡百の徒が平穏に執り行う「朝活」なる名称は本日を以て完全に廃止され、我が家においては「ビフォ活」という、時空を歪めた新たなる概念へと厳かに変更されることとなった次第である。
そこから我らの間で、世俗で流行(はや)り病の如くに囁かれる「ヌン活」についての神学的論争が勃発した。
そもそも、世間一般の御婦人方が洒落た卓を囲む「アフタヌーンティー」なる贅沢な催しは、本質的に紅茶の愉悦を貪る「ティ活」と呼ぶべきではないか。むしろ、文字通り「午後の活動」全般を指してこそ「ヌン活(アフタヌーンの活)」と定義するのが論理的整合性を得るのではないか、と私は至極尤(もっと)もな異議を唱えたのである。
然るにポッポ氏は、我が理路整然たる反論をいとも容易く撥ね退け、「午後という時空において『ぬん』のポーズを炸裂させることこそが、真のヌン活である!」と頑なに言い張るのであった。
しかし、その直後、ポッポ氏は現在の時刻が未だ「午前」という光り輝く領域にあることに突如として気付いたらしい。氏は一瞬の動揺も見せず、即座に「……ならば今は、ビフォ活であるな」と言い直した。
その「ビフォ」なる言葉の背後に隠された不条理なる概念について、私にはとうに察しがついていたが、敢えてその深淵を覗くべく「そのビフォとは一体何事か」と問うてみた。すると氏は、大真面目な顔でこう宣(のたま)ったのである。
「ビフォーヌーン(Before noon)に決まっているではないか」
私は呆れ果て、独り天を仰いだ。そこは人類の共通言語として、素直に「モーニング」と呼ぶべき地平ではないのか(笑)。
たまらず私が「それならば普通に『朝活』で宜しいのではないか」と至極健全な妥協案を提示するも、氏は「断じてビフォ活だ!」と一歩も退かぬ構えであり、その瞳には頑迷なる意志の炎が燃え盛っていた。
斯くして、我が城の歴史に新たなる頁が加わった。
世間一般の凡百の徒が平穏に執り行う「朝活」なる名称は本日を以て完全に廃止され、我が家においては「ビフォ活」という、時空を歪めた新たなる概念へと厳かに変更されることとなった次第である。
大日本御茶目會 會員
県北民都會出陣統括本部・総代
草の山教・広報
レモン塩麹揉み師一級
トキポナ蒐集人
全国胡乱歌曲連盟 加盟
音楽魔術(Suno)にて胡乱歌曲製造中↓
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