自律神経のバランスを整える極意『ゆっくり』
公開 2024/02/05 11:11
最終更新
2024/02/05 16:31
せっかちな人は損である。(偏見にみちた持論です)
なぜなら、自律神経の安定に『ゆっくり』は欠かせないからである。
例えば、自律神経の安定に良いとされることの中に、ゆっくりと湯船に浸かる(ぬるめ15分 ベッドに入る1時間くらい前)とか、朝の焦りで1日が台無しになるので、ゆっくり落ち着いて支度できるように前の晩に準備して、1本のバナナだけでもよいからよく噛んでゆっくり朝ごはんを食べようとか、玄関の靴を丁寧に揃えようとか、とにかくゆっくり余裕を持つことが大事だとされている。
せっかちさんでも、自分がガタガタと動いていないと気が済まないけれど、他人の言動がゆっくりでも気にならないというならまだましな方である。
しかし、多くのせっかちさんは、他人のゆっくりに、イライラするのではないだろうか。
イライラ、怒りのあと、必ず自律神経が乱れるという。
乱さなくてもいい自律神経を、自ら乱しにいっているのである。
ほら、損である。
でも、ゆっくりしていては、物事がうまく進まないじゃん!と、諸君はお思いになったであろう。
まぁまぁ、落ち着いてくれ。
ゆっくり動くこととだらだら怠けることは全く違うことであるぞ。
ゆっくり動くために時間の無駄を省くのである。
といってもタイパではない。
タイパを意識すると作業効率が下がるということが最近の研究でわかってきているらしい。
短時間で複数のタスクを効率よく詰め込んだ結果、大事なことを忘れてしまったり、無理なことを引き受けてしまったり、いいアイデアがうかばなかったりするというのだ。
では、どういうことか。
人というのは、意識高い人でもないと、殆どの人は1日の中で無駄な時間がけっこうあるのである。
SNSをちょっとみるつもりが1時間とか、動画サイトでおすすめに出てきたものをついつい見て1時間とか。
友達のLINEで愚痴をきかされ1時間とか。
特に目的なくテレビをつけて、なんとなーく1時間とか。
それらを、大事なことをゆっくり行えるようにするために省くのである。
『待って!それは無駄じゃないよ、楽しかったし!』とおっしゃるそこのかわいいお嬢さんにお聞きしたい。
自分の自律神経を乱れさせて、体が、心が不調になってまでそれをやりたいんですか?
それで不調に苦しんでも、SNS の友達は心配しかしてくれませんよ、文章上で。
SNSに求めるものは人それぞれであるため、こちらは親しくしていたつもりが、人によっては重い内容は既読スルーだし、去って行く人すらいる。
リアルな友達ですら、親身になってくれるような素晴らしい人であっても、変わってはくれない。
それでも、大事なことをガタガタやるようになったり、省かないといけなくなるくらいたくさんの時間をそれらに割きますか?
自己犠牲にしてまでやりますか?
睡眠時間や入浴、食事、自分の趣味や目標がある人はそれのために時間をきちんと確保して、1日を落ち着いてゆっくり動くことで自律神経を整えられるのだよ。(もちろん、それだけではないはずであるが)
ここで誤解のないように捕捉。
SNS や動画サイト、テレビなどを見るな、友達の愚痴に付き合うなと言っているわけでは決してない。
それらは、つまらないとか何らかのストレスを感じるならやめた方がよいが、ついやってしまうのだからたのしいことのはずだ。
楽しむことは良いことなのだ。
笑いやワクワクしたりすることでストレスが小さくなったり、SNSなどのつきあいであれば、褒められたり、こちらのアクションに感謝されたり、嬉しいこともあるだろう。(逆もあるが)
友達だからこそ、愚痴も少しならきいてあげたいだろう。
しかし、時間は無限ではなく、多くの人が自由に24時間を使えるわけではない。
仕事や家事、育児、介護など、自分の意思とは無関係にやることが決められていたりする。
そのため、そういったものの使い方によっては、自分だけの時間を削らざるを得なくなり、結果、自分の健康を脅かすことになるのである。
つまり、大事なことをゆっくりできる時間を確保したうえで、時間を決めて使えばいいのである。
ゆっくりはいいぞ。
自分だけではなく、周りの人にもいい影響がある。
初対面なら、相手に変な緊張感を与えず、落ち着いた人と思われ、安心感すら与えることができる。
『お先にどうぞ』なんて言おうもんなら、落ち着きだけではなく、心の広さまで感じてもらえるかもしれないし、人に譲る余裕があるということで気分良く過ごせるのだ。
自律神経が安定しているか否かはうつる。
落ち着いている人といれば落ち着くし、ピリピリの人といれば、ストレスを感じる。
そう考えると、『ゆっくり』は自分への、他社への優しさである。と言っても過言ではない…かもしれない😁
人生は短いんだから、『ゆっくり』を心がけて、共に楽しく生きようではないか。
なぜなら、自律神経の安定に『ゆっくり』は欠かせないからである。
例えば、自律神経の安定に良いとされることの中に、ゆっくりと湯船に浸かる(ぬるめ15分 ベッドに入る1時間くらい前)とか、朝の焦りで1日が台無しになるので、ゆっくり落ち着いて支度できるように前の晩に準備して、1本のバナナだけでもよいからよく噛んでゆっくり朝ごはんを食べようとか、玄関の靴を丁寧に揃えようとか、とにかくゆっくり余裕を持つことが大事だとされている。
せっかちさんでも、自分がガタガタと動いていないと気が済まないけれど、他人の言動がゆっくりでも気にならないというならまだましな方である。
しかし、多くのせっかちさんは、他人のゆっくりに、イライラするのではないだろうか。
イライラ、怒りのあと、必ず自律神経が乱れるという。
乱さなくてもいい自律神経を、自ら乱しにいっているのである。
ほら、損である。
でも、ゆっくりしていては、物事がうまく進まないじゃん!と、諸君はお思いになったであろう。
まぁまぁ、落ち着いてくれ。
ゆっくり動くこととだらだら怠けることは全く違うことであるぞ。
ゆっくり動くために時間の無駄を省くのである。
といってもタイパではない。
タイパを意識すると作業効率が下がるということが最近の研究でわかってきているらしい。
短時間で複数のタスクを効率よく詰め込んだ結果、大事なことを忘れてしまったり、無理なことを引き受けてしまったり、いいアイデアがうかばなかったりするというのだ。
では、どういうことか。
人というのは、意識高い人でもないと、殆どの人は1日の中で無駄な時間がけっこうあるのである。
SNSをちょっとみるつもりが1時間とか、動画サイトでおすすめに出てきたものをついつい見て1時間とか。
友達のLINEで愚痴をきかされ1時間とか。
特に目的なくテレビをつけて、なんとなーく1時間とか。
それらを、大事なことをゆっくり行えるようにするために省くのである。
『待って!それは無駄じゃないよ、楽しかったし!』とおっしゃるそこのかわいいお嬢さんにお聞きしたい。
自分の自律神経を乱れさせて、体が、心が不調になってまでそれをやりたいんですか?
それで不調に苦しんでも、SNS の友達は心配しかしてくれませんよ、文章上で。
SNSに求めるものは人それぞれであるため、こちらは親しくしていたつもりが、人によっては重い内容は既読スルーだし、去って行く人すらいる。
リアルな友達ですら、親身になってくれるような素晴らしい人であっても、変わってはくれない。
それでも、大事なことをガタガタやるようになったり、省かないといけなくなるくらいたくさんの時間をそれらに割きますか?
自己犠牲にしてまでやりますか?
睡眠時間や入浴、食事、自分の趣味や目標がある人はそれのために時間をきちんと確保して、1日を落ち着いてゆっくり動くことで自律神経を整えられるのだよ。(もちろん、それだけではないはずであるが)
ここで誤解のないように捕捉。
SNS や動画サイト、テレビなどを見るな、友達の愚痴に付き合うなと言っているわけでは決してない。
それらは、つまらないとか何らかのストレスを感じるならやめた方がよいが、ついやってしまうのだからたのしいことのはずだ。
楽しむことは良いことなのだ。
笑いやワクワクしたりすることでストレスが小さくなったり、SNSなどのつきあいであれば、褒められたり、こちらのアクションに感謝されたり、嬉しいこともあるだろう。(逆もあるが)
友達だからこそ、愚痴も少しならきいてあげたいだろう。
しかし、時間は無限ではなく、多くの人が自由に24時間を使えるわけではない。
仕事や家事、育児、介護など、自分の意思とは無関係にやることが決められていたりする。
そのため、そういったものの使い方によっては、自分だけの時間を削らざるを得なくなり、結果、自分の健康を脅かすことになるのである。
つまり、大事なことをゆっくりできる時間を確保したうえで、時間を決めて使えばいいのである。
ゆっくりはいいぞ。
自分だけではなく、周りの人にもいい影響がある。
初対面なら、相手に変な緊張感を与えず、落ち着いた人と思われ、安心感すら与えることができる。
『お先にどうぞ』なんて言おうもんなら、落ち着きだけではなく、心の広さまで感じてもらえるかもしれないし、人に譲る余裕があるということで気分良く過ごせるのだ。
自律神経が安定しているか否かはうつる。
落ち着いている人といれば落ち着くし、ピリピリの人といれば、ストレスを感じる。
そう考えると、『ゆっくり』は自分への、他社への優しさである。と言っても過言ではない…かもしれない😁
人生は短いんだから、『ゆっくり』を心がけて、共に楽しく生きようではないか。
楽しまなきゃ、人生は長く退屈なものですよ
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