自分に足りないものの話
公開 2026/06/17 14:57
最終更新
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人から優しいと称されるといつかイメージを崩してしまうんじゃないかとドキドキする(ので書く)。
優しい人に憧れがある。
ここで言う優しいとは、トラブルを回避するためにその場にふさわしいと思われる振る舞いを表面的にトレースする行為のことではなく、共感したり寄り添ったり心を込めて励ましたりとか、そういう真心のある言動のことだ。
そして自分は前者であるという自覚がある。
どちらかというと行動力と課題解決欲求が強い方なので、目の前に困っている人がいるとササッと手を出せる方ではある。
言語化が比較的得意であるので相手が求めているであろう言葉やその場に適した言葉を出力することもできる。
ただそれを「優しい」と評されると、「違うな」って思う。
人の手助けをするとき、自分は目の前のエラーが気になるからタスクを片付けているだけなので、ぶっちゃけそんなに好きじゃない相手に対してもあまり抵抗感なく手助けができる。
自分が何か耳障りのいい言葉を出力しているとき、これを言えば相手によく思われるかなって打算がないかと言えば嘘になるし、正しいと思われる行いをエミュレートしているだけで実態が伴っていないような空虚さを感じることもある。
なので、目の前の相手が弱音を吐いた時に一緒に悲しみ、寄り添い、心から励まそうという意思を感じられる人を見ると「あったけぇ……」って感動する。
かける言葉が巧みかとかそういうことじゃなくて、相手を「放っておけない」という気持ちが強い人を見ると、ああ自分に足りないものだなあ……と思う。
自分のその足りなさは、多分人そのものへの執着の薄さの表れなんだろうけど、もうちょっと人間味を……こう……と思わなくもない。
かといってこれは能力的なもの(訓練してどうにかなるもの)ともちょっと違う気がするので、一朝一夕でどうにかなるものではないのだろう。
性格的なものなので根本からガラッと変えるのはかなり難しいのは分かっているのだが、それにしてもさすがに思考が機械過ぎるなあとは常々思っているので、多少どうにかしたいな〜とは思っている。
人間に、なりたいです。
優しい人に憧れがある。
ここで言う優しいとは、トラブルを回避するためにその場にふさわしいと思われる振る舞いを表面的にトレースする行為のことではなく、共感したり寄り添ったり心を込めて励ましたりとか、そういう真心のある言動のことだ。
そして自分は前者であるという自覚がある。
どちらかというと行動力と課題解決欲求が強い方なので、目の前に困っている人がいるとササッと手を出せる方ではある。
言語化が比較的得意であるので相手が求めているであろう言葉やその場に適した言葉を出力することもできる。
ただそれを「優しい」と評されると、「違うな」って思う。
人の手助けをするとき、自分は目の前のエラーが気になるからタスクを片付けているだけなので、ぶっちゃけそんなに好きじゃない相手に対してもあまり抵抗感なく手助けができる。
自分が何か耳障りのいい言葉を出力しているとき、これを言えば相手によく思われるかなって打算がないかと言えば嘘になるし、正しいと思われる行いをエミュレートしているだけで実態が伴っていないような空虚さを感じることもある。
なので、目の前の相手が弱音を吐いた時に一緒に悲しみ、寄り添い、心から励まそうという意思を感じられる人を見ると「あったけぇ……」って感動する。
かける言葉が巧みかとかそういうことじゃなくて、相手を「放っておけない」という気持ちが強い人を見ると、ああ自分に足りないものだなあ……と思う。
自分のその足りなさは、多分人そのものへの執着の薄さの表れなんだろうけど、もうちょっと人間味を……こう……と思わなくもない。
かといってこれは能力的なもの(訓練してどうにかなるもの)ともちょっと違う気がするので、一朝一夕でどうにかなるものではないのだろう。
性格的なものなので根本からガラッと変えるのはかなり難しいのは分かっているのだが、それにしてもさすがに思考が機械過ぎるなあとは常々思っているので、多少どうにかしたいな〜とは思っている。
人間に、なりたいです。
