FINAL FANTASY XIV 黄金のレガシー感想
公開 2024/11/24 18:23
最終更新
2024/11/24 18:41
FINAL FANTASY XIV 黄金のレガシー
2024年10月14日にクリアしましたので雑感。
当然ネタバレあります。
全体的に惜しい〜〜〜!!!というのが正直な感想。
「とりあえずいろいろ見て回ってみよう」「調べてみよう、話を聞いてみよう」って流れが多すぎたというか、台本に沿ってキャラが動かされてる感が強くてイマイチ物語に入り込めなかった。
双子やクルルさんは前半の旅もずっと一緒だったけど、本当にいるだけというか。
他のキャラに置き換えられたとしてもまぁ話は成立するくらいの存在感で、一緒にいるのにちょっと寂しかった。
せっかくのヴァリガルマンダも「あ、ここで討伐戦入れたかったのね……」とちょっと我に返ってしまうほどの脈絡のなさ。
と、文句ばかり書いていてもあれなので良かったところとか、考えたこともちょっとだけ書く。
新しい世界を構築してやろうという気概
今回特に凄かったようには感じた。
トライヨラの翼鏡の街にある民家、住んでる種族によって内装がぜんぶ違うんですよ。
来たばかりの頃は何とも思わなかったけど、各地を巡ってから改めて見渡すと「あ、この家はペルペル族が住んでるんだ!」ってちゃんと分かる。
数え切れない地域、国、世界を巡って、さすがにそろそろネタも尽きるでしょ?って浅はかな素人考えを「まだまだ!」って跳ね返してくれた。
特にリビング・メモリーまわりは素晴らしかった。
空が黄金色なのもあいまって、ずっと黄昏時のようで、子供の頃誰もが経験した「楽しかったな、もうちょっと遊んでいたいな、でももう帰らないと……」という満足と寂寥が入り混じった感覚がずっと続いている世界。
ラマチもクルルさんもエレンヴィルも自分の手で親を消すことになってるの辛すぎる。
あの辺りはサブクエも良かった。
特に好きだったのは、誰もいない遊園地で弟を探すお兄ちゃんの話。
永久人たち皆、自分たちがいずれ消えていくことを理解して受け入れてるのがもの悲しい。
スフェーン、もっと永久人や国民の一人一人と話してみてもよかったんじゃないだろうか。
国の現状を知れば、今生きている人たちのために席を譲る選択をする死者だっていたと思う。
(それだって一時凌ぎにしかならなかっただろうけど……)
ウクラマトとスフェーンの話
これは彼女らの物語だったと思うので、エターナルクイーン戦の締め方は私は好き。
『国と民を背負って立つ者同士』という二人にしか共有できないものが確かにあったし、自由な根無し草のヒカセンには踏み込めない関係性でもあったと思う。
ただ、ヒカセンだからスフェーンに渡せた言葉があってもよかったな、ともちょっと思う。
これまでの旅路で重ねてきた想いと感情をメーティオンに渡したみたいに、いろんな出会いと別れを繰り返してきたヒカセンだからこそ渡せた何かがあったと思うんだ…。
永久人スフェーン誕生の過程をもっと詳しく知りたかった。
人間、生きていれば身体は成長しやがて老いていく。
社会的な立場や人との関わり方も変化していく。
それにともなって、考え方や性格も変わっていくものだと思う。
だけど、『民を愛し護る理想の王』として永遠に変わらぬ存在にされてしまった
永遠人スフェーンの孤独はどれほどのものだったんだろう。
最初期の魂技術でどこまで精確に再現できたものかはわからない。
彼女という人格の中から王として都合のいい部分だけ抽出されてないか、と邪推してしまう。
だとすると、「黄金の遺産」という言葉もなんだかうすら寒いものがある。
「みーんな大好き!」は結局誰のことも好きじゃないのと同義、とよく言われる。
ソリューション・ナインを案内してもらってる時、ラマチが「好きな食べ物は?」と尋ねた。
だけど、スフェーンは答えられなかった。
優柔不断な奴だな、とラマチは笑ってたけど、私の頭には上記の言葉が過った。
「作ってくれた人のことを思うとどれか一つなんて決められない」という理由は、優しさであるようでいて、スフェーンの『個』の無さが如実に表れている気がしてならない。
(永久人だから現実世界の食べ物は食べられないというのはさておき)
ラマチはトライヨラで二軒あるタコス屋に対して「どっちもうまいけど、あたしのオススメはこっち!」って自分の感覚に従って選んでる。
ここが、似ているようで似てない二人の大きな違いだと思う。
スフェーンの『好き』って、どちらかというとメーティオンのそれに近い気がする。
周囲の生物の感情に共鳴するよう造られたメーティオンは、ヘルメスの好物である『砂糖ドバドバの林檎』を自分の好物だと勘違いしていた。
本当は自分で食べられもしないのに。
スフェーンも同じで、すべての民を愛するように造られた存在だから、彼女自身の物差しで好き嫌いを判断することができない。
それが良い悪いではなく、ただ『そういうふう』にできてるから。かなしい。
想像だけど、人間だった頃のスフェーンにはちゃんと好物があったんじゃないだろうか。
民の目を気にせずラマチと二人でおしゃべりできる機会があったとしたら、「ばあやが作ってくれたお菓子が〜」とか「オーティスのシチューが〜」とか、そういう彼女自身の生きたエピソードが聞けたと……思うんだ……。
余談だけど、ラマチはひんがしの国に来たら「な、生魚なんて食ったら腹壊しちまうだろ!?あたしは食べないぞ!!」→「う、うめぇえええ!!」を絶対やってくれると思う。
まとめ
惜しかったなと思う点とグッとくる点と、両方があった。
「ハイデリン&ゾディアーク編」完結後の最初の大型アップデートということで、ものすごくハードルが高かったんだと思う。
そのハードルを軽々と飛び越えてみせたとは言えないというのが私の正直な感想。
色んな意見があるのも分かる。
だけど、新しい旅への第一歩なので。
やっぱりまだこのゲームが好きなので。
14制作陣はこれからも面白いものを作り続けてくれると信じて、のんびりレベリングしながら次のアップデートを待つ予定。
『良い旅だった』とまた胸を張って言えるように。
2024年10月14日にクリアしましたので雑感。
当然ネタバレあります。
全体的に惜しい〜〜〜!!!というのが正直な感想。
「とりあえずいろいろ見て回ってみよう」「調べてみよう、話を聞いてみよう」って流れが多すぎたというか、台本に沿ってキャラが動かされてる感が強くてイマイチ物語に入り込めなかった。
双子やクルルさんは前半の旅もずっと一緒だったけど、本当にいるだけというか。
他のキャラに置き換えられたとしてもまぁ話は成立するくらいの存在感で、一緒にいるのにちょっと寂しかった。
せっかくのヴァリガルマンダも「あ、ここで討伐戦入れたかったのね……」とちょっと我に返ってしまうほどの脈絡のなさ。
と、文句ばかり書いていてもあれなので良かったところとか、考えたこともちょっとだけ書く。
新しい世界を構築してやろうという気概
今回特に凄かったようには感じた。
トライヨラの翼鏡の街にある民家、住んでる種族によって内装がぜんぶ違うんですよ。
来たばかりの頃は何とも思わなかったけど、各地を巡ってから改めて見渡すと「あ、この家はペルペル族が住んでるんだ!」ってちゃんと分かる。
数え切れない地域、国、世界を巡って、さすがにそろそろネタも尽きるでしょ?って浅はかな素人考えを「まだまだ!」って跳ね返してくれた。
特にリビング・メモリーまわりは素晴らしかった。
空が黄金色なのもあいまって、ずっと黄昏時のようで、子供の頃誰もが経験した「楽しかったな、もうちょっと遊んでいたいな、でももう帰らないと……」という満足と寂寥が入り混じった感覚がずっと続いている世界。
ラマチもクルルさんもエレンヴィルも自分の手で親を消すことになってるの辛すぎる。
あの辺りはサブクエも良かった。
特に好きだったのは、誰もいない遊園地で弟を探すお兄ちゃんの話。
永久人たち皆、自分たちがいずれ消えていくことを理解して受け入れてるのがもの悲しい。
スフェーン、もっと永久人や国民の一人一人と話してみてもよかったんじゃないだろうか。
国の現状を知れば、今生きている人たちのために席を譲る選択をする死者だっていたと思う。
(それだって一時凌ぎにしかならなかっただろうけど……)
ウクラマトとスフェーンの話
これは彼女らの物語だったと思うので、エターナルクイーン戦の締め方は私は好き。
『国と民を背負って立つ者同士』という二人にしか共有できないものが確かにあったし、自由な根無し草のヒカセンには踏み込めない関係性でもあったと思う。
ただ、ヒカセンだからスフェーンに渡せた言葉があってもよかったな、ともちょっと思う。
これまでの旅路で重ねてきた想いと感情をメーティオンに渡したみたいに、いろんな出会いと別れを繰り返してきたヒカセンだからこそ渡せた何かがあったと思うんだ…。
永久人スフェーン誕生の過程をもっと詳しく知りたかった。
人間、生きていれば身体は成長しやがて老いていく。
社会的な立場や人との関わり方も変化していく。
それにともなって、考え方や性格も変わっていくものだと思う。
だけど、『民を愛し護る理想の王』として永遠に変わらぬ存在にされてしまった
永遠人スフェーンの孤独はどれほどのものだったんだろう。
最初期の魂技術でどこまで精確に再現できたものかはわからない。
彼女という人格の中から王として都合のいい部分だけ抽出されてないか、と邪推してしまう。
だとすると、「黄金の遺産」という言葉もなんだかうすら寒いものがある。
「みーんな大好き!」は結局誰のことも好きじゃないのと同義、とよく言われる。
ソリューション・ナインを案内してもらってる時、ラマチが「好きな食べ物は?」と尋ねた。
だけど、スフェーンは答えられなかった。
優柔不断な奴だな、とラマチは笑ってたけど、私の頭には上記の言葉が過った。
「作ってくれた人のことを思うとどれか一つなんて決められない」という理由は、優しさであるようでいて、スフェーンの『個』の無さが如実に表れている気がしてならない。
(永久人だから現実世界の食べ物は食べられないというのはさておき)
ラマチはトライヨラで二軒あるタコス屋に対して「どっちもうまいけど、あたしのオススメはこっち!」って自分の感覚に従って選んでる。
ここが、似ているようで似てない二人の大きな違いだと思う。
スフェーンの『好き』って、どちらかというとメーティオンのそれに近い気がする。
周囲の生物の感情に共鳴するよう造られたメーティオンは、ヘルメスの好物である『砂糖ドバドバの林檎』を自分の好物だと勘違いしていた。
本当は自分で食べられもしないのに。
スフェーンも同じで、すべての民を愛するように造られた存在だから、彼女自身の物差しで好き嫌いを判断することができない。
それが良い悪いではなく、ただ『そういうふう』にできてるから。かなしい。
想像だけど、人間だった頃のスフェーンにはちゃんと好物があったんじゃないだろうか。
民の目を気にせずラマチと二人でおしゃべりできる機会があったとしたら、「ばあやが作ってくれたお菓子が〜」とか「オーティスのシチューが〜」とか、そういう彼女自身の生きたエピソードが聞けたと……思うんだ……。
余談だけど、ラマチはひんがしの国に来たら「な、生魚なんて食ったら腹壊しちまうだろ!?あたしは食べないぞ!!」→「う、うめぇえええ!!」を絶対やってくれると思う。
まとめ
惜しかったなと思う点とグッとくる点と、両方があった。
「ハイデリン&ゾディアーク編」完結後の最初の大型アップデートということで、ものすごくハードルが高かったんだと思う。
そのハードルを軽々と飛び越えてみせたとは言えないというのが私の正直な感想。
色んな意見があるのも分かる。
だけど、新しい旅への第一歩なので。
やっぱりまだこのゲームが好きなので。
14制作陣はこれからも面白いものを作り続けてくれると信じて、のんびりレベリングしながら次のアップデートを待つ予定。
『良い旅だった』とまた胸を張って言えるように。